11月16日(日) 梅若能楽学院会館
連吟『龍田』 髙橋栄子他
仕舞『野宮』山村庸子
『玉鬘』三吉徹子
『富士太鼓』富田雅子
地頭:角当直隆
能『三輪』・白式神神楽
シテ(里女化身 三輪明神)梅若紀彰 ワキ(玄ぴん僧都)宝生常三 アイ(三輪ノ里人)山本則重
笛:松田弘之 小鼓:曽和正博 大鼓:安福光雄 太鼓:小寺真佐人
地頭:山崎正道 面:シテ「逆髪」
(休憩)
仕舞『巻絹』キリ 小田切康陽
『松風』 松山隆之
『定家』 角当直隆
『小鍛冶』キリ 土田英貴
地頭:山崎正道
狂言『鱸包丁』(大蔵流 山本東次郎家)
シテ(伯父)山本東次郎 アド(甥)山本凜太郎
(休憩)
能『鉢木』
シテ(佐野常世)山中迓晶 ツレ(常世ノ妻)川口晃平 ワキ(最明寺時頼)舘田善博
ワキツレ(二階堂某)則久英志 ワキツレ(従士)山本則秀
アイ(間狂言)山本則孝
地頭:梅若長左衛門 面:前ツレ「深井」かな?
笛:一噌隆之 大鼓:曽和伊喜夫 小鼓:大倉慶乃助
梅若会の、年に2回ある別会は、梅若会総出演という事もあり、午前11時から開始で、朝早いのだ。昼食も、弁当かなんか買っていくしかない。
取り分けて今回の別会は、紀彰師が、極めて重い小書き「白式神神楽」の『三輪』を舞われるので、気が急いた上に、認知機能の低下により、時間感覚がおかしくなってしまい、予定より早く行ってしまう。
それだけ、期待していたという事だけど。
連吟『龍田』から始まるが、あまり揃っておらず、こんなことならば、もっとゆっくり来れば良かったか、と。
仕舞女流3曲。うち『野宮』と『玉鬘』は、ワタクシがお仕舞いでお稽古したモノ。馴染みがあると同時に、ちょっと違うなあ、なぞとも思ってしまい、お稽古5年が過ぎると、結構な曲をお稽古してくるし、紀彩の会では、全五名分のお仕舞いお稽古になる訳で、×5の紀彰先生のお手本を拝見したりしていることもあって、以前とは拝見の仕方が変わってきている。
成長と理解しよう。
いよいよ、能『三輪』・白式神神楽。
『三輪』は3回目なのだけど、今回はまるで別物。
白式神神楽の小書きは、もともと京都の片山家のもので、ご宗家の小書き「誓納」に次ぐ格式を持つ小書きらしい。
事前に紀彰先生から、全然別物だよ、とか言われていたことから、事前の予習の意味がなかろうかと勘違いし、基本の詞章やら筋書きを予習不十分なまま拝見したのに、激しく後悔。
考えてみれば、同じ『三輪』なのだから、詞章にさほど大きな違いがある訳ではなく、ただ沢山の、神楽舞などの違いがあって、元を知っていれば、全線違うということになるのでした。
結論から言うと、素晴らしいの一言。
後場のシテは、明らかに三輪明神や天照大神そのモノで、美しいを越えて、神々しいとのコトバが相応しい。ああ、そこに、神を見た。まごうことなき神が、舞台上にいた。
紀彰先生の所作は、なんて神々しいのだろう。
前シテの幕からの出に特殊扱いがあると聞いていたので、注目したが、なるほど。幕の中を覗ける席にいたので、足使いなど見守る。
前場で、下に居をして、じっとしているだけで、見とれる。
作り物の中に入って、中入。
後場は、その中からの「ちわやぶる 神の願いの あるゆえに 人の知遇に 逢うぞ嬉しき」と、ゆっくりと、良い声で。ゾクッとするでしょ。
クセは、幕を下ろされた作り物の中での居ぐせ。出て、舞クセかと思ったら。
「神楽」になると、神々しい舞が披露されるので、クセは舞じゃなくても十分でした。
この辺りだったか、笛との競演というか、コラボというか、セッションというか、笛方の松田弘之師とシテ紀彰師の、息を合わせた演奏と舞。
もうウルウルしてくる。感動的。
綺麗な白装束で舞っているのは、三輪明神であり、天照大神の降臨に違いない。
後で聞いたら、紀彰師は、精進潔斎をして、今回に臨んだらしい。
地頭の山崎正道さん。良かったと思います。これだけの曲になると、地頭が極めて大切。お元気ならば楼雪先生が務めて頂けたでしょうが。
余りの素晴らしさ、神々しさに、見所は集中せざるを得ず、変な言い方だけど、疲れた。気楽に拝見できるモノではなかった。
疲労困憊し、ここで帰って行く見所もいた。不満足なのではなく、十分満足して、もうこれ以上不要、お腹いっぱい。
仕舞4曲も、知る仕舞が多かったが、これも、前同様に、お稽古とは違うなあ、と思って、呆然と観る。
狂言『鱸包丁』。何回も観ているし、東次郎先生のシテなので、楽しいはずが、頭が疲れてしまって、眠くなる。凜太郎さんが立派になった、と。
最後の能『鉢木』。どうやら初見との記録なんだけど、ストーリーは知っているし、どこかで拝見したか、研究したんじゃなかろうか。
舞がなくて、『船弁慶』や『鞍馬天狗』と同様に、拝見するよりは、謡ってみた方が楽しそうだなあ、と、まだ呆然としつつ。
狂言方が、間狂言語りと、役付きで登場する。
謡の盛り上がりは、謡って楽しそう。
ワキ最明寺入道時頼が、鎌倉に帰って、鎌倉への集合を命ずるのは、実は戦ではなくて、落ちぶれたシテ佐野常世を呼び出すための策略だったことは、間狂言で語られるのでした。
よく読んでみると、詞章にもあった。
ケチだから、番組の最後まで拝見する。
まあ、とにかく、大変なお能『三輪』を拝見してしまった。決してあの神々しさを忘れない。
感動を分かち合いたく、帰りに仲間を無理に取れて、飲食。