10月3日(金) MOVIX橋本

 

原作:真藤順丈著「宝島」

監督:大友敬史

出演: 

 オン(戦果アギャーのリーダー)永山瑛太

 グスク(その仲間 刑事)妻夫木聡

 ヤマコ(オンの恋人 小学校教師)広瀬すず

 徳尚(グスクの刑事先輩)塚本晋也

 レイ(戦果アギャーの仲間 ゴザ系ヤクザ)窪田正孝

 その他

 

映画『国宝』が大ヒットして、興行収入の記録を作る。

それに似た題名の映画『宝島』。英文題名「HERO’S ISLAND」。

前評判は高かったらしいが、上映開始からは、ネットではつまらないとか、長いとか、意味が解らないとか、人間関係が複雑すぎるとか、散々な評価。

この日も比較的大きなスクリーンに、観客は少数、パラパラ。

 

結論から言うと、絶賛。

但し、戦後沖縄の歴史、祖国復帰までの歴史を予備知識として知らないと、理解困難かも知れない。

いや、その歴史を教えてこられなかったから、特に、ヤマトンチューには、理解できないのだろう。

それは、現代へも繋がる大きな問題。

オキナワの戦後史は、今でも、正しく教えられないのだ。

 

薩摩藩の軍事占領(第1次琉球処分)を先史として、あの沖縄戦の災禍を経て、米軍に占領される(第2次琉球処分)ところからこの物語は始まる。

そして、1969年の佐藤栄作とニクソンの沖縄返還協定調印。

それまでの20年間。

先史ヤマトンチューの支配から始まり、戦後は、アメリカーが支配し、土地を奪われ、基地とされ、北ベトナムへの爆撃の出撃基地ともされて、ベトナム侵略の後方基地とされる。平和を望むウチナンチュー。沖縄からの出撃は人ごとと考えるヤマトンチュー。

沖縄返還協定が締結されても、米軍基地はそのまま、本土並みどころか、ヤマトンチューの支配と利用が加わっただけ。

1970年のゴザ暴動で、オキナワの怒りは爆発する。

それは、今でも続く。辺野古基地新設。

対中国の最先端地区に晒される。アメリカーのために、ヤマトンチューの為に。いつも被害はウチナンチュー。

その怒りが、この物語・映画の本流。

 

そのままストレートにドキュメント風にしたら、映画は作れないし、全国上映はかなわないだろう。

だから、実際にあったらしい「戦果アギャー」という米軍基地からの窃盗団を題材にして、そのリーダーと仲間達のその後という物語に仕立てたのではなかろうか。

 

ゴザ暴動のシーンは圧倒的。

映画の中で、様々なコトバが出てくる。

ウタキ(御獄)とは、オキナワに古くから伝わる神道の聖地。嘉手納基地の中にもあって、現在でもお詣りなどが制限されている。戦果アギャーが、発見されて逃げ込むのがここ。こうしたことにピンとくるか。

ガマは、中部から南部に多数存在する自然洞窟。沖縄戦の時、ここにウチナンチューも多く逃げ込んだが、ヤマトの兵隊に追い出されたり、集団自殺を強要されたこともある。米軍の攻撃により多数の死者も出た。その遺骨は現在でも残されている。

 

沖縄を返せの歌。歌いながらのジグザグデモ。スクラムを組んで。ヤマコも先導する。

”硬き土を破りて、民族の怒りに燃ゆる島、沖縄よ。我らと我らの祖先が血と汗を持て、守り育てた沖縄よ。我らは叫ぶ沖縄よ。我らのものだ沖縄は。沖縄を返せ、沖縄を返せ”

70年安保闘争も、沖縄返還協定反対運動の時も、この歌を歌いながら、赤坂見附などでジグザクデモをしていた。

あの頃の自分を思い出す。同時代として。

でも、この映画を観て考えると、この歌の詩は、どうもヤマトンチュー側だよね。

ウチナンチューは、祖国復帰と行っても、米軍基地のない沖縄を実現したかったんだし、ヤマトンチューの支配は拒絶なのだよね。しかし、結局大きな軍事基地は沖縄に押しつけられたままになっている。

だから、ウチナンチューは、レイの武力独立運動も、心情的には理解できる。そこで、最後の方の、レイとグスクの対決の意味が理解できる。

が、その時の、将来は信頼できるというグスクのコトバは、実現されているんだろか。

 

映画の冒頭辺りから、こうした様々な思いが交錯して、涙が溢れる。

 

オキナワに行ったことがあるか。オキナワを知っているか。

 

若泉敬著の「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」という本がある。1994年に文藝春秋社から出版された。

佐藤栄作の密使として渡米して、キッシンジャーなどとの沖縄返還交渉を陰で担い、この著作で、核密約の存在などを明らかにした。

国際政治学者であった。

出版後に、オキナワの地で自害した。遺書である。

この本の内容には、異論を挟みようがないが、勿論交渉過程にはあれこれあるだろうが、若泉先生は「他策はなかりし」と信じた上で、沖縄返還を優先したのだろう。

 

沖縄返還運動には、当時の沖縄人民党の瀬長亀治郎も大きく関わっている。返還後、同党は日本共産党に合流し、副委員長となった。カメさんである。

琉球政府の屋良朝苗主席も登場しない。

彼らが映画に登場しないのも、制約があったのだろう。

 

1980年代の半ばだと思うが、沖縄に行ったことがある。その時は、辺野古の新基地建設反対の座り込み運動の小屋を訪問したし、本当最北部の辺戸岬に行った。ここに、返還運動の象徴であった、海上交換会、北緯27度線上で、つまり沖縄のアメリカ施政権と日本国との「境界」での交流会の出発点であった。

そこに、海上交流の写真が多数貼り出されていて、興奮したものだ。

今は、あるのだろうか。

 

ガザ暴動について知っているか。

ヤマトンチューの責任を考えたことがあるか。

 

制約がある。正しく歴史を伝えられない圧力がある。一方で、ひめゆりなどに対する歴史修正が、公然と国会議員によって語られる。

 

そうした背景を踏まえて、この映画を観て欲しい。あるいは、背景を知るとっかかりにして欲しい。

沖縄を捨て石としてきた歴史を踏まえて、ヤマトの責任を踏まえて。

日米安保条約は破棄されねばならない。その前にも、地位協定は改定されねばならない。

 

もっともっと語りたいが、長いといつも文句を言われるので・・。