5月22日(木) 東京藝術大学大学美術館
いろんなサブタイトルが付いている。
金閣・銀閣ー鳳凰がみつめた美の歴史
雪舟から応挙、若冲へ
何だか凄い宣伝で、テレビでもネットでも取り上げられていて、会期が5月25日(日)までなので、最後の土日は込むだろうからと、ちょっと前の木曜日ならば、空いているだろうという思惑で。
ところが、混雑していて、結構じっくり観たこともあるけど、入場には時間がかからなかったけど、見学に3時間もかかってしまった。
相国寺、実は良く知らなかったのです。
京都の禅の五山の二番目だって。
足利義満の発願によって建立されて、御所の北、幕府の北にもあった、広大な寺域を持つ禅寺。
金閣や銀閣も、塔頭というのか、その一部であったとか。全然方向も違うけどね。
当然、現在でもある相国寺は、見学したことはない。
当時の禅寺は、唐(元や明)との交流の窓口みたいになっていて、外交部みたいな。
それが、高度な唐の教養を得て、和国文化の真髄になって行くということらしい。
第一章 創建相国寺ー将軍義満の祈願
夢窓疎石が初代なのかな。元・明との直の交流について。
中国製作の墨跡とか絵とか。
ここで面白かったのは、永楽帝勅書。宛名が「源道義」になっている。これは、義満のこと。「源」なんだねえ。
第二章 中世相国寺文化圏ー雪舟がみた風景
雪舟も、相国寺の僧だったとか。
ともかく、文化、芸術、学問の中心でもあったんだ。
第三章 『隔瞑記』の時代ー復興の世の文化
室町時代が終わって、鎌倉・江戸期となる。
応仁の乱で、相国寺も多くの文物が失われたようだ。
それでも、文化・教養的には中心であった。秀吉などのブレーン。
異国通船の朱印状なども、相国寺の僧が書く。
『隔瞑記』というのは、江戸時代に書かれた日記なのだという。知ってました?その日記によって、当時の出来事などがかなり詳細にわかるのだそうです。日記・記録は、改ざんされずに残さねばならない。
ここを見ている時に気付いちゃったんだけど、「自画自賛」というコトバ。自分で自分を誉めるという、どちらかというと嘲りを込めたコトバ。だけど、この時代やもっと前から、画には、賛が付けられて、その賛を付けた人によっても、絵の価値が解るというモノでしたね。
普通は、別の知識人が賛を付ける。その賛が付いた絵が珍重される。その流れでの、自画自賛なのでした。
第四章 新奇歓迎!古画礼賛!ー若冲が生きた時代
若冲の登場です。鹿苑寺大書院障壁画は圧巻でした。
第五章 未来へと育む相国寺の文化ー“永存せよ”
相国寺は、様々な墨跡や絵画、従物の集まっている場所。収集もして。
俵屋宗達、円山応挙、伊藤若冲その他。
その収集は現在も続いている、とさ。
相国寺承天閣美術館の開館40周年記念でもある。
雑駁な紹介で申し訳ないが、こちらに基礎知識がないから、しょうがないのです。
でも、まあ、相国寺ってのがあるんだ。今度は行ってみようかな。単なる寺院ではなくて、和国の文物の中心で、唐との外交の役割も果たし、知識・教養の主発点でもあったんだ。
勿論、芸術分野も凄いのだけど、それだけに留まらないんだあ、と。
本郷キャンパスで学生生活を送っていたときも、近くに芸大があるとは知っていても、行ったことはなかった。ましてや美術館まであったなんて。
せいぜいが、晴天の日に、サボって、不忍池でボートに乗るくらいだったなあ。
あっちの方に行ったときは、神田まつやで蕎麦と一杯。そのつもりで、初めて秋葉原まで電車で来て、歩いて向かうが、Googleマップの感度が宜しくなく、凄い遠回りをしてしまい、疲労。
体調不良に陥ってしまう。