11月25日(土)

京都・宇治・大阪の旅 3日目

 

大阪駅前のホテルに泊まって、一度も行ったことがない大阪城公園へ。

お能が始まるまでの午前中時間つぶし。

 

大坂冬の陣、夏の陣の豊臣時代の大阪城は完全に破壊され、その後家康が徳川時代の改修工事。

更に明治維新でも、戦争でも破戒されて、戦後に再建されたものだが往事を戻そうという意図はあまりなくて、つまらん。

観光客でいっぱいだけど、どうしていくかねえ。発掘、再建の方向しかなかろうが。

 

大阪城公園を抜けて、徒歩で大槻能楽堂へ。午後2時から。

 

大槻文蔵と読み解く 能の世界シリーズ。

対談「作意というもの」

 講師:村上湛 大槻文蔵

(休憩)

能 『蝉丸』・替之型・琵琶之応答 (観世流)

 シテ(蝉丸)梅若紀彰 シテ(逆髪)観世喜正 ワキ(清貫)福王知登

 アイ(博雅三位)茂山千之丞 

 笛:杉市和 小鼓:曽和鼓堂 大鼓:山本寿弥 地頭:梅若猶義

 

対談は、当初予定は天野文雄先生だったが、病気療養により、村上湛先生に交替。

お題は、作り手の側から観て、作の意図を読み解こうというもの。

なかなか新しい観点で、宜しい。

観阿弥、世阿弥、元雅、金春禅竹などの作者によって、作風に違いがあるし、作曲という限り、詞章の文言だけではなくて、謡の聞こえ方、合わせる囃子方の手でも、作意が読み取れる、聞き取れるはず、ということ。

なるほど、そうだなと思う。同じ曲である以上、諸流の謡い方に違いはあるものの、全体的には変わらない。そうかも。

なかなかお勉強になる対談でした。

 

能『蝉丸』。替之型の小書きにより、元々逆髪がシテなのに、蝉丸との両シテになる。

琵琶之応答の小書きは、途中、逆髪と蝉丸との邂逅シーンで蝉丸が琵琶を持つ型をする。

 

結果的には、シテ蝉丸の紀彰師、シテ逆髪の喜正師の組み合わせは、当代観世流では最高だったのではないか。

 

シテ蝉丸の紀彰先生は、押さえる、吸い込むようなお声での謡。動作はあまりなく、逢坂の関に連れてこられて、髪を下ろされ、用意されたあばら屋に閉じ込められるが、皇統に連なるものの気品は失わず、しかも、体中でしっとりと示される放棄されるものの悲しさが、じっと動かない存在によって、十二分に示されて、感じられた。

とにかく、動かない。指一本、無駄に動かない。その無の存在が、気品と悲しさを伴っているのだ。

後場で登場するシテ逆髪の喜正師も、お声は良いし、お上手なのだけど、如何せん、良い声がはっきり出すぎている感があった。狂乱の逆髪だから良いのか。

姉に会えてちょっとうれしい蝉丸。逆髪の舞に合わせて、琵琶を掻き鳴らす。

それでも、帰って行ってしまう逆髪。

蝉丸は、本作中、三度、ひとりぼっちにされてしまうのだ。その悲しみ。さみしさ。しかし気品。

紀彰先生、素晴らしい。

思わず、感動の落涙。

 

地頭が、当初は楼雪先生の予定だったが、梅若猶義さんに、交替。入院加療中につき、と正直に発表された。

楼雪先生の地頭だったらどうだったろうかとは思うが、あのいたわしいお姿を観るより、能に集中出来て良かったと思う。

 

蝉丸の面は、どのくらいの視野が確保されるのだろうか。

最後、ゆっくりゆっくりと橋掛かりに下がっていくとき、シテ柱に衝突しそうになったのだろう、後見が適切に出てきて、方向を示していた。これぞ、後見の役割。

 

前回に大槻能楽堂でお能を拝見したときとは違って、拍手が最後まで出ず、十二分に余韻を楽しめたのは良かった。見所の力量も相応しかったのだろう。

見所を含めて、全員で作り上げることが出来た能でした。

 

紀彰先生のシテとして、11月19日の『山姥』に次いで、この『蝉丸』でまたまた素晴らしい、大変な能を観てしまった。

この週は、大変重い、すごい、素晴らしいお能拝見の連続。

 

帰りの新大阪は、超人混みで、別の意味で大変。やっとお弁当を買って乗車して、車中で歓喜の仕上げ。