10月14日(土) 国立能楽堂

解説 「高野山の信仰と芸能」 松岡心平(東大名誉教授)

狂言 『居杭』 (大蔵流 宗家・茂山忠三郎家)

 シテ(算置)茂山忠三郎 アド(何某)大蔵基誠 アド(居杭)茂山良倫

(休憩)

能 『高野物狂』 (観世流 観世会)

 シテ(高師四郎)関根知孝 子方(平松春満)坂井真悠子

 ワキ(高野山の僧)宝生常三 アイ(高師四郎の下人)善竹大二郎

 笛:槻宅聡 小鼓:幸正昭 大鼓:國川純 地頭:藤井完治

 

解説は、「高野山の信仰と芸能」となっているが、まあ、本日の演目解説。関係があるとすれば、高野山では長期間、少なくとも平安時代は歌舞音曲が禁止されていた、ということ。

松岡さんは、メモ無しで30分近く話されていた。

 

狂言『居杭』。居杭の意味は解らないが、渾名らしい。子方が大活躍する。良倫くん、2014年生まれ9歳。可愛い。

結構な台詞もあるが、間違えずに、ちゃんと覚えていた。語りのヒラキの仕方が、大げさなのは仕方なし。

清水の観世音菩薩から”隠れ頭巾”を頂いて、これを被ると透明人間になる。これを利用して、よく頭を叩くアド何某や、占い師のアド算置を翻弄する。

楽しい、可愛らしい狂言。

 

能『高野物狂』、初めて。まだ初見の能も少しはある。

シテ四郎の主人、平松殿が亡くなって、その子息である子方春満を育てるのだが、春満は、父母や七代前のご先祖を供養しようと、どこぞへ出家してしまう。

その置き手紙をシテ四郎が読む箇所。文の段とでも言うべきか。

シテ四郎は春満を探しに出かけてしまい、物狂いとなって放浪する。そして高野山に出向く。音曲禁止なので追い出されそうになるが、舞を舞う。それで春満が四郎と気づき、舞を見た後、申し出て再会。目出度し。子探しで、巡り会うことが出来るお能。

この子方は、2015年生まれ8歳。女子。可愛いし、凜々しいのですが、台詞を間違えてしまった。最後の自分の台詞が口をついて出てしまった。誰も助けなかったが、フト自分で気付いたか、言い直し。その後もしっかり勤めたから、大した度胸。

 

シテの関根知孝さん、今まであまり意識してこなかったが、お上手、というかしっかり、きっちり。謡も舞も。ブレない。遊ばない。型をそのままキチンと仕上げる感じ。

本曲では、直面。それで、結構難しそうな謡や、舞を披露する。遠くて良くは見えなかったが、目ん玉を動かしてしまうようなことはしない。キッとしていた。そういう意味で難しい役なのだろうが、だからそれを熟せる役者が少ないのか、良い物語で、謡も舞も見応えがあるのに、上演が少ないらしい。

 

観世に親しみすぎていて、初聞ノ謡なのだけど、違和感もない。良い気分。

クセの舞、中ノ舞。ホントに確りしていて、お上手(失礼)。

 

前回苦情を言った、中庭のはんにゃチャン、撤去されていた。宜しい。

狂言『萩大名』の宮城野萩、満開で美しい。

 

ちょっとここで、拍手の東西差、関東と関西の差を一考。

関西では、シテが退場するとき、ツレが退場するとき、ワキが退場するとき、地謡や囃子方が退場するとき、それぞれに拍手が起きる。

関東では、大体、最後に囃子方が退場し、笛方が橋掛かりを半分くらい進んだところで、拍手。

どっちでも良いんだろうけど、ワタクシは断然関東派。

余韻を楽しみたい。

お能の始まりは、お調べの後、誰もおらず、何も無い舞台へ、笛方から囃子方が入場してきて、ほぼ同時に地謡が入場してくる。つまり、無からのスタート。

だから、ワタクシとしては、無になってお終いという感覚。そこに、余韻。

無から始まり、無に帰す。これぞ能ではないか。