10月8日(日) 横浜能楽堂

狂言組 (大蔵流 山本東次郎家)

『縄綯』

 シテ(太郎冠者)山本則重 アド(主)山本則孝 アド(何某)若松隆

(休憩)

『月見座頭』

 シテ(勾当)山本東次郎 アド(上京の者)山本則孝

お話 山本東次郎

 小舞:『鐘の音』の最後

 

15年を迎える横浜狂言堂。いよいよ今年いっぱい。

狂言の普及に大きな力を残せたと思う。ワタクシも、大分楽しませていただき、勉強させて貰った。

東次郎家は今回が最終。しかも『月見座頭』シテ東次郎。見逃せない。チケットを取るのに苦労し、中正面の最後方。

ワタクシにとっては、これが最後の狂言堂。

 

『縄綯』。賭け事でいつもの通り負けてしまったアド主。シテ太郎冠者を負けた分として差し出す。悔しく、寂しい太郎冠者。新雇い主のアド何某に対して、なんやかや言い訳をして言うことを聞かず、サボタージュ。

何某はアド主に苦情を言って、示し合わせて、太郎冠者を戻すこととする。あらうれしや。テキパキと仕事をこなすが、うれしさのあまり、余計なことを喋る。何某の内儀の容貌が悪いだの、子が笑って可愛いのに打擲して泣かすだの。

このシテ太郎冠者の仕方話が秀逸。淀むことなく、噛むことなく、当然間違えずに語る、語る。則重さん素晴らしい。

密かにこれを聞いていた何某にバレて、ご許されませ、と追い込まれる。

 

主の身勝手さ。悔しい太郎冠者、戻されて浮かれる。ホントのことか、さあらぬか、おしゃべりしてしまう。

東次郎さんは、後の解説で、太郎冠者は主が好きだったのです、と解説していた。 

また、解説で、太郎冠者を何某に使いに出すとき、真実を話さずに文をもて、というのだけど、いつもの文句「早く行って、やがて戻れ」とはいわなかったことを、明らかにした。

そういえばそうだったなあ。奥が深い。

 

お目当ての『月見座頭』。番組表に、シテは勾当と出ていたが、名ノリで東次郎さんは自らを座頭と言っていた。

別の時には、勾当って言っていたよね。

虫の音を一人楽しむ様。鈴虫、クツワムシ、こおろぎ、ヒグラシ、と挙げていく。

そういえば、今年はいつまでも暑くて、急に寒くなってしまって、私の大好きなヒグラシが並のように鳴くのがなかったなあ、と感慨。

たがて、上京の者が現れて、盲目の座頭と一緒に、まず和歌を詠む。きっと上京の者は、馬鹿にして古歌を読むのだろうが、座頭はそれと気付いて古歌で返す。二人で大笑い。そして、謡。これも出来る。まあ、盲目でも謡は出来るだろうよ。マサカと思った舞も、座頭は、『弱法師』を舞う。楽しい素敵な夜になった。座頭とも思えない。

帰りがけにフト思って、上京の者は引き返して、座頭を打擲する。理由など無い、言いがかり。

居場所も分からなくなってしまい困った座頭は、やっと杖を探して、くしゃみを2つして、静かに帰って行く。

 

この心理変化。相変わらず謎。見るモノの想像にまかせられる。

座頭には、先ほど楽しく遊んだモノとは知られていないのだから、いわゆる匿名性のある遊びか。そういう心の緩みか、狡さか。酒の上のちょっとした悪戯か。

あるいは、眼が見えないけど、心では見ることの出来、教養もあり、和歌も謡も仕舞までもキチンとこなす座頭への嫉妬か、仕返しか。

相変わらず、なぞ。

 

来年3月、国立能楽堂での山本会別会。『月見座頭』のシテを凜太郎さんが勤めるらしい。

東次郎さん、先月コロナにかかって、熱が下がり切らなかったが、今回の狂言堂『月見座頭』は、やる、と。

 

最後のお話も、着替えていつもの通りに走るように出てくる東次郎さん。ご立派。

恒例の小舞は、『鐘の音』の最後の部分。小舞もご立派。

拝見していて涙が出てくる。

きっと、東次郎さんは、今は、これが最後かも知れぬと思って、勤めているのだろう。

 

これが人間国宝。まさしくその価値あり、です。