9月30日(土) 国立能楽堂

能 『芭蕉』 (観世流 観世会)

 シテ(里の女 芭蕉の精)観世恭秀 ワキ(山居の僧) アイ(里人)茂山七五三

 笛:松田弘之 小鼓:大倉源次郎 大鼓:守家由訓 地頭:藤井完治

 面:シテ「深井」

(休憩)

狂言 『文蔵』 (大蔵流 茂山千五郎家)

 シテ(主)茂山千五郎 アド(太郎冠者)茂山茂

能 『望月』 (宝生流)

 シテ(小沢刑部知房)武田孝史 ツレ(安田庄司の妻)野口聡

 子方(花若)大坪海音 ワキ(望月秋長)福王茂十郎 アイ(望月の下人)茂山逸平

 笛:一噌隆之 小鼓:飯田清一 大鼓:佃良勝 太鼓:桜井均

 地頭:大坪喜美雄 面:シテ「深井」

 

40周年記念の最後。

能2番はキツい。しかもいずれも初見。

 

能『芭蕉』。芭蕉は、大きめの薄い葉で、破れやすいところから、破れやすい恋とか、はかなさとか、人生のむなしさとかの例えに使われる。

『井筒』に「芭蕉葉の夢も破れて・・」という詞章がある。仕舞で練習したところ。

でも、どうして舞台が唐なんだろう。不思議。バナナの葉に似ているから、南方系、唐系という発想か。

物語は、ストーリー性に欠けて、全体として、法華経の薬草喩品のこと。女人でも、草木でも、成仏できる、と。

シテの観世恭秀さん、1942年生まれ81歳で、お声が小さくて聞き取りづらくもあって、前場は殆ど睡眠状態。でも、詞章や謡が美しいから、気持ちよく寝られました。折角の七五三さんのアイ語り、聴けず。

 

後シテの芭蕉の精の装束は、真っ白な、美しいモノで、序ノ舞が秀逸。お年を召していて、全部で120分の大曲で、体力勝負の様なところもあるのに、最後まで、極めて優雅に舞っていらした。

しかも、詞章や節が、難しくて美しく、『松風』に似た感じ。『松風』ほどの人気が出ないのは、ストーリー性がなくて、盛り上がりに欠けるところからだろうか。綺麗な、素敵な曲、節付けなのに。

 

狂言『文蔵』。シテ主役の千五郎、元々声が大きいが、前曲の聴きづらさから一転して、やはり声は聞こえた方が良いよなあ。

『文蔵』という曲名の解説は、何度読んでも理解できないが、主に無断で京見学した太郎冠者だが、京の様子を聞きたいから許される。京に住むおじさまからなんぞご馳走になってきただろう、何かと問われるが思い出せない太郎冠者。

主に、石橋山の合戦の語りをさせて、ヒントとする。

この石橋山合戦の仕方話を、床几の上で、居語りで行うのが、素晴らしい。良くできた講談のよう。千五郎の朗々とした声で語る。

結局「温糟粥(うんぞうがゆ)」でした、というオチ。

 

能『望月』も初。宝生流も久しぶり。

物語は、仇討ち。”近江国守山宿、甲屋仇討ちの段”というべきモノ。講談や、歌舞伎にしたら面白そう。わかりやすい物語で、眠くはならない。曾我兄弟の仇討ちも、ちょこっと出てくる。

劇能というジャンルだそう。

面を付けるのは、ツレだけ。

 

子方が結構重要な役。人間国宝大坪喜美雄の孫。2011年生まれ、12歳か。殺された安田庄司の子。犯人のワキ望月秋長を狙う。望月秋長を油断させようと、羯鼓の舞も舞わなくちゃならぬから、形式的な子方では足りぬ。

なかなか適役な子方がいないから、上演が難しいのかな。でも、凜々しい若者でも良いはず。

 

後シテが、獅子の姿で登場する際の「乱序」が素晴らしい囃子。特異な手組で、期待を高める。

その獅子舞も、勇壮。

羯鼓の舞、獅子舞、と酒で油断させ、寝込んだ望月秋長を討ち、本懐を遂げる。

 

ワキの登場の時、配役を事前によく見ておらず、良い声だなあとプログラムを見たら、福王茂十郎さん。ワキ方福王流宗家、文化功労者。お能も、配役がとても重要で、シテ方だけではなく、ワキ方、狂言方、囃子方、すべてが旨く揃わねばならない。

総合芸術。

 

ワタクシが気に入っている国立能楽堂中庭。風情があって宜しいのです。そこに、「はんにゃちゃん」という新しいイメージキャラクター、マスコットの置物が・・・。

違うよなあ。写真でお見せできないけど、全然違うよなあ。

能には、キリリとした緊張感、上品な知性、優雅さなどを期待するのだけど、真逆で。まったく違うよなあ。な~にを考えているんだか。