9月24日(日) アスエル園部(南丹市園部文化会館)

番囃子 『翁』

 白式尉:梅若楼雪 千歳:梅若猶義

 笛:左鴻泰弘 小鼓:林大和 大鼓:河村凜太郎

 地頭:梅若長左衛門 副地頭:梅若紀彰

ご挨拶 南丹市長 西村良平

演目解説 井上貴美子

舞囃子 『芦刈』

 シテ(日下左衛門) 梅若英寿

 笛:左鴻泰弘 小鼓:林大和 大鼓:河村凜太郎 地頭:梅若楼雪

仕舞

 『羽衣』 井上貴美子

 『船弁慶』 角当直隆

狂言 『察化』 (大蔵流 茂山千五郎家)

 シテ(太郎冠者)茂山七五三 アド(察化)茂山宗彦 アド(主人)茂山逸平

(休憩)

能 『通小町』・雨夜之伝

 シテ(深草少将ノ霊)梅若長左衛門 ツレ(小野小町ノ霊)梅若紀彰

 ワキ(僧)江崎欽次朗

 笛:左鴻泰弘 小鼓:林大和 大鼓:河村凜太郎 地頭:梅若猶義

 

梅若家総出演で、故郷園部で催される演能の会という触れ込み。

園部の場所も良くわからないのに、参加。新幹線京都から嵯峨野線(山陰線)で40分くらい。そこから徒歩で20分くらい。

 

園部は、寂れたような町だったが、地元は結構な盛り上がりで、会場はほぼ満員。市長の喜んだこと。

昼食は近くの食事処を当てにしていたが、休業日で、やむなくコンビニ弁当という情けない状況。

 

普通のホールだから、緞帳が下がっている。

上がると、すでに、正中の位置に椅子に座って楼雪師。ワキに座る千歳。後ろに4人の地謡。我が席からは、丁度楼雪師の影に隠れて紀彰師の姿はまるで見えない。

囃子方も位置についている。小鼓は一丁だけ。

楼雪師の身体を考えると、翁渡りがなくても問題ない。

 

さて、『翁』の始まりだが、楼雪先生のお声が調子悪い。いつものハリのある声ではない。そのうち謡進んでいくと、絶句というわけではないようだが、歌い出しのタイミングが取れないか、数度後ろの紀彰師から教えが入る。

あれまあ。拝見していて、残念というか、涙がこみ上げてくる。あの実楼雪先生が・・。

緞帳が下りて、退場。

 

市長の挨拶は緞帳の前。うれしくてうれしくて、興奮気味。梅若家出生の地に、市道があることから、「丹波梅若の道」と名付けたと、うれしそうに。

地元の方と、京都からはバスを仕立てておいでのよう。ただし、そんなにお能の鑑賞には慣れていないようで、京都梅若会の井上貴美子さんが、プログラムにはなかった演目解説。

 

舞囃子『芦刈』は、楼雪先生のお孫さんの英寿君。大学生だと思うけど。

緞帳が上がると、定位置に英寿君と並んで、地頭の楼雪先生が椅子に座って並んで、普通の舞囃子にはないことだけど、頭を下げてご挨拶。後、地頭の楼雪先生は椅子ごと地謡席に後退。

まあ、要するに、英寿君のお披露目ね。孫の晴れ舞台で、楼雪先生がご挨拶をされた形。

英寿君の舞囃子は、ミスはなかったが、素人に毛が生えた程度にしか思えなかった。華がない。まだまだ、ですね。

お披露目される程度ではないが、楼雪先生、梅若家出生の地の演能会で、どうしてもお披露目したかったのでしょう。

まだまだ、まだまだ、なのに。しっかりお稽古して貰わなければ。

楼雪先生の地頭の声は、聞こえない。

 

仕舞2曲。『羽衣』キリは、替え之型ではなくて、普通の型で。

『船弁慶』キリは、角当直隆さん、しっかりと長刀を扱っていました。

 

狂言『察化』。新人間国宝茂山七五三さんのシテ。両アドも問題なし。

”察化”というのは名前なんですね。トンチンカンな太郎冠者の、悪気のないトンチンカンぶり。困った主。遂にはすっぱの察化までが、困り果てるという話で、七五三さんが、立派なトンチンカンぶり。

 

能『通小町』、何度も。

前場で、下安居中のワキ僧が、現れた前ツレから木の実の名前を聞き出すのは、木の実(この身)にかけて、前ツレ女の素性を聞くということなのかも知れない、と思いついた。

紀彰師は、良いお声で、ハコビも良く、所作も決まり、この日、一番のシテ方。

後場では、笛座前で下に居でじっとしているのだけど、そのじっとしているのが、少しもブレずに、しっかりとじっとしている。退場に向けて立ち上がるときもブレない。

シテ少将ノ霊は、長左衛門さん。こちらは、ややブレる。

 

最後に、小学生からの花束贈呈ということで、再び椅子に座った楼雪先生と、お着替えした後の茂山七五三さんが登場。

楼雪先生がマイクでご挨拶なさった。帰ってこられてホントにうれしい、と。

だが、呂律がよく回らない。むむむ・・。

2説ある。晩節を汚しているのではないか、と、それでも登場自体で舞台が締まるでしょ、と。

七五三さんより、お若いのに。無念です。まだ頑張ります、とのご挨拶だったけど、どうなんでしょう。

 

全体としては、梅若家総出演という割には、もう一つ締まりに欠けた会だったか。

楼雪先生の衰えばかりが目についてしまって、涙が浮かぶ。

梅若家が、その発祥の地で開催した能会であったことに意味があったのでしょう。

地元の人々は、梅若家のお能の会で、しかも2000円という安価で拝見できて、喜んでいたので、そういう意味では良かったし、やり甲斐があったが、どうせならば、しっかりと内容も上等の会に出来ていれば良かったなあ、と。