7月22日(土) 川崎市アートセンターアルテリオ映像感(アルテリッカ新百合)

 

歌人(ワタクシにとっては能人)馬場あき子の、93歳から94歳にかけての1年を見つめたドキュメンタリー映画。

現在は95歳のはず。

済みません、以下、敬称略で。勿体ないほどの大先輩で、尊敬すべきお方なのだけど。

まだ矍鑠としていて、お元気で能公演の解説などで度々拝見、拝聴している。

 

映画芸術として、黒澤明などの映画作りとは違うのは当たり前で、ドキュメンタリーなのです。だから、映画の善し悪しと言うより、映画を見ての感想を、順不同で記しておきたい。

 

感動、感激なのです。まだ始まってばかりの時に、じわっと涙が浮かんできてしまった。こちらの思い入れが大きすぎるのだろうか。

 

映画の題名は、馬場あき子の和歌「さくら花 幾春かけて 老いゆかん 身に水流の音 ひびくなり」からの引用だと。1977年の歌集かららしいので、25年位前、まだ60代後半の作になる。

25年前の和歌として読むか、94~5歳の和歌として読むか。まだまだ老いをさほど自覚しておらず、これから何年で老いるのだろう、未だ身の内には、水流の如き音を立てて、やるべきこと、やりたいことが生えてくる。

では、現在は如何。

映画の中では、あと1年は現在のような状況と健康でいたい、という趣旨のことを話されていた。

痛み止めを常用されているとのこと。いつも和装の立ち姿で乱れないから、足腰はご丈夫だと思っていたが。

 

その題字は、金澤翔子の書。ダウン症の書家で、以前から注目していて、鎌倉の建長寺で行われた個展に出かけたこともある。その時は、涙でまともに書を見られなかった。

馬場あき子は、何故、金澤翔子の書を題字に使ったか。

感覚の共通性か。

 

短歌と能の馬場さんだけど、ワタクシは和歌の知識はほぼないので、能の方。

はじめて拝見・拝聴したのは、弁護士を廃業して後、ブログの記録では、2018年11月10日、横浜能楽堂主催の「修羅シリーズ」の第1回、「修羅能の世界を語り合う」という企画に参加したときのこと。当時は90歳だったようだけど、このときに、なんとまあ素敵な、素晴らしいおばあちゃんだったか。健康も、知識も、教養も。

 

それまで、恥ずかしながら存じ上げなかった。「鬼の研究」も知らなかった。後で、読みましたが。

 

その後、何回か能の解説などを拝聴して、その思いを再確認し、深めてきていた。

取り分けて、毎年5月3日に川崎市文化財団主催で「人間国宝の競演」として、友枝昭世シテの能と、山本東次郎シテの狂言の会があって、その始まりには馬場あき子の解説があり、更に、終了後お三方での鼎談があり、能や狂言も素晴らしいのは勿論だけど、馬場あき子のお話が素晴らしいのだ。

2021年5月は、狂言『萩大名』と能『清経』。

2022年5月は、能『隅田川』と狂言『麻生』。これが、本映画中で、一部紹介されている。ああ、これ観たよね、良かったよね。

今年、2023年5月は、狂言『粟田口』と能『殺生石』。当然映画には反映されていないが、これも、馬場あき子さんの解説を含めて、良かった。

3回ともブログにある。

さて、来年2024年はどうなるか。今から楽しみで、開催されるならば、必ず行くのです。

 

能のシーンが出てくると、見入ってしまう。『道成寺』の乱拍子の場面も。

 

話題は飛ぶけど、紀彩の会のお稽古仲間、藤沢周さんが、月刊誌『世界』2022年2月号で、馬場あき子と対談している。藤沢さんの「世阿弥最後の花」の出版に合わせての対談だけど、話題は、世阿弥が晩年配流されて過ごした佐渡のこと、世阿弥の能感、馬場あき子の能感にも及んで、読み甲斐がある。和歌の知識、教養。

これもブログに書いてある。

 

更に話題は飛ぶけど、この対談が行われたのは、新百合ヶ丘のイルカンピエッロというイタリアンレストランで、何回か予約にチャレンジしたのだけど、電話が繋がらないか、繋がっても「予約で満席です」との答えで、未だ、食せていない。

そのイルカンピエッロが、本映画でも出てきていて、馬場あき子さんが数人と会食している。ワインも飲んでいる。

ああ、やはりこのイタリアンレストラン、なんとしても行きたいモノだ。

夏の昼食に、ご自宅でそうめんを茹でて食している場面もあって、美味しそうなのだ。副菜は夏野菜。身近なのです。

 

撮影は、馬場あき子さんのご自宅でも多く撮られている。新百合ヶ丘のどこかなのですね。多分、川崎市麻生区。新百合ヶ丘のお近くにお住まいであることは、何となく分かっていました。

まったく豪邸ではなく、階段や2階は書籍で埋まっているとか。

春の花見も、お近くの麻生川沿いでの様子が出ていた。身近なのです。

 

映画にも出てくるが、馬場あき子は『利休』という能を新作している。2022年に、片山九郎右衛門シテで公演されている。2度目らしい。新潟にて。

連想ゲーム。藤沢周さんが現在執筆しているのが、『利休残照』。まだ連載中。何か、馬場あき子さんとの対談が影響していないのかしら。藤沢周さんも新潟出身だし。

 

最近のブログで、「古稀・老い・残日録」があって、残日録の意味について、「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」の意味であって、「残る日を数えようという」意味ではない、とした。これは、藤沢周平の書から。

ここに新たな意味を提示したい。”残る日を数え、意識しつつ、その一日一日を有効に過ごす”。

日々是好日ならぬ、「残日是好日」とせねばならぬ。

 

女性の、能を良くする方には、白洲正子もいる。

白洲正子は貴族的、馬場あき子は庶民的。白洲正子は町田。馬場あき子は川崎市麻生区。案外近い場所。

 

雑駁でした。