ワタクシの誕生日は、1953年7月8日。
そう、いよいよ70歳。古稀、古来稀なる、なのです。現代では、稀ではないけど。
弁護士を廃業したのが、丁度5年前。65歳の時でした。
5年前の今頃は、「事務所閉鎖のお知らせ」などを発送し、7月で事務所を事実上閉鎖し、8月で残務と片付けをする予定であり、その通り進行した。
事務所の賃貸借契約は、6月末に通告して、9月末まで。まあ、原状回復の余裕も見て、ということ。
それから「自称高等遊民」の生活となった。
はや、5年。
2018年8月末に、「ブログ始めました」という記事から本ブログもスタート。まさしく、5年前が人生の再スタート時点。
たっぷりと、遊ばせて頂いた。
藤沢周平著「三屋清左衛門残日録」という本があり、そこに「勤めていたころは、朝目覚めたときにはもうその日をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の目覚めの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えねばならなかった。」とある。
確かに現役弁護士時代は、深夜というか早暁に目覚めて、その日のやるべきことを反芻するということもあった。
が、5年前からはそういうこともなくなった。
幸い、趣味の世界が広々と待ち受けていて、読書やクラシックコンサート鑑賞が底辺にある上に、特に、古典芸能である能の世界に深くはまり込んだので、三屋清左衛門ほどの「空白」感は感じなかった。これは今でも変わりはしない。
だから、ワタクシの生活は「悠々自適」ではなくして「高等遊民」と自称したのでした。
また同書に「残日録というのは、日残りて昏るるに未だ遠しの意味である。残る日を数えようというわけではない」ということも書いてあって、これは、まさしくその通り。
5年前は、精神的負担から双極性2極障がいというとで、弁護士以外でも仕事が出来る精神状態ではなかったのだけど、弁護士辞めてみて、精神的負担から解放されることの喜びが大きかった。
それだけ大変は、過酷な仕事だったのです。
年金が貰える年齢にもなって、生活がなんとか出来そうだという見通しもあった。
それから5年。高等遊民的な生活をまっしぐら。とりわき、能楽中毒の病は膏肓として。ブログに書いてきたとおり。
こういう生き方が出来たことからも、5年前の判断は正解であったし、後悔は微塵もない。
そして5年経過。想定はしていたけど、新たな問題。「老い」です。
抽象的な「老い」ではなくて、具体的な「老い」。
食が細くなる、飲酒量も減る、疲れやすい、高いところのモノが取れなくなる。フラついて階段も怖い。
まだ若いころ、抽象的に「老後の人生」を考えていて、60歳で引退、70歳まで山の近くで畑と山の生活、都会の便利な生活に戻って、75歳で死ぬ。
引退が5年遅くなったので、75歳寿命は80歳までは延びたようだけど、抽象的ではなくて、具体的に考え感じるようになってくる。
あと10年。内、高等遊民生活が続くのは、せいぜいあと5年か。
割と身近な高齢者が、病に倒れたり、アルツハイマーになったりして、死にはしないまでも1人での生活が困難になってきている方が、多くなってきた。
オイラも、あと5年か。
チト、具体的に対策を考えねばならないか。
いつまで「高等遊民」するか、できるか。ダラダラと続くか。
さてさて・・・。残る日を数えねばならないか。