7月2日(日) 観世能楽堂

能 『玉鬘』

 シテ(里女 玉鬘内侍)藤波重彦 ワキ(旅僧)梅村昌功 アイ(初瀬門前ノ者)吉田信海

 笛:藤田朝太郎 小鼓:曽和正博 大鼓:大倉栄太郎 地頭:山階彌右衛門

 面:前シテ「棹さし」(近江作・江戸時代) 後シテ「増」(洞水作・江戸時代)

狂言 『魚説教』 (大藏流 宗家)

 シテ(出家)大藏彌右衛門 アド(何某)大藏彌太郎

(休憩)

仕舞 『賀茂』 武田友志

   『通盛』 木原康之

   『花筐』・狂 観世清和

   『天鼓』 坂井音春

能 『錦木』

 シテ(男 男ノ幽霊)梅若紀彰 ツレ(女)沢口貴信 ワキ(旅僧)宝生欣哉

 アイ(里人)大藏基誠

 笛:杉信太朗 小鼓:観世新九郎 大鼓:山本寿弥 太鼓:大川典良 地頭:岡久広

 面:後シテ「霊神」(作者不詳)

 

梅若紀彰先生が、観世流の職分になられて、観世流(観世会)のシテを勤められるようになった初回。

観世能楽堂は遠いし、高いけど、これは是非とも行かねばならぬ。

 

どうも、観世能楽堂の見所に集う”観世の人々”は、一種特殊な感じがあって、多分ワタクシのひがみだと思うけど、能楽堂の雰囲気も違うような気がする。純粋にお能を楽しむというより、観世ご宗家筋のお能をみましょうね、今度はどんな出来かいな、という感じ。ワタクシの個人的な感想ですよ、ひがみだと思いますよ。

 

能『玉鬘』。2回目。初回は、2021年8月川崎能楽堂で、喜多流だった(とブログの記録)。

「謡曲集」中巻に掲載されており、回数は少ないけど、解りやすい曲。

取り分け、丁度林望先生の「謹訳 源氏物語」の夕顔の巻を読んでいたので、分かりやすい。アイ狂言で、この辺りのことがほぼ源氏物語に沿って語られる。

光源氏の若い頃に付き合った女性「夕顔」は、頭中将とも付き合っていたが、あるとき何某の院に連れ込んでいたところ、おそらく六条御息所に呪われて、急死してしまう。ここが「夕顔」の巻。

その子が「玉鬘」で、美貌の女子であった。光源氏に引き取られて養育されるが、その源氏からも愛されてしまい、実父の頭中将や、そのほかにも言い寄るモノが多い。源氏物語では、そういう玉鬘を言い寄られて困惑する女性と描くが、本曲では、むしろ恋多き女子として描いているような。

だから、曲の流れは、上記とは大分違う。が、ワタクシの認識はそんなモン。

後シテの髪が、長く左肩から垂れて伸びていて、他とは違う。観たことがない。こんな所からも、妖艶な感じが出る。

 

シテの藤波さん、昭和39年(1964年)生まれで、まだ60歳前で、中堅からベテランにかかる。声は大変に良い。舞も間違いなく、観世のモノ。

だが、舞台の支配力にはまだまだかな、という印象。ワキやアイが力を出し切れておらず、囃子方、あまり存じ上げない方々だけど、もそうかな。

 

前日深夜まで飲んでしまい、睡眠時間が少なくて、これは寝てしまう、と思っていたので、寝なかったけど、あまり集中はしていなかったので、感想はそんなとこ。

 

狂言『魚説教』、何回も。魚説法、というのは和泉流か。にわか坊主が説法をすることになってしまうが、分からないので、前職が漁師であったため知っている魚の名前を適当にあしらって説法に見せかける。魚の名前が分かるような分からないような、で説法する話芸。彌右衛門さん、ご高齢で、間違えはせず、キチンと話せるのだけど、如何せん、声が弱い。

 

仕舞4曲。中には御宗家の仕舞もあったけど、そんなに感動はしなかったな。まあ、4方ともキチンと、しっかり舞っておられた。

 

お目当ての、能『錦木』。こちらも2回目だけど、今回はなんと言っても紀彰先生のシテなのだ。

前シテは、直面で登場する。おお、素晴らしい。いつもお稽古で観ているとおりの、ハコビや、語りなのだけど、何だか、紀彰先生のはこんなにも見事だったっけ、と感心する。登場だけで、見所の心をつかんだはず。見所だけではなく、ワキやアイ、囃子方も。

謡曲集下巻に掲載されている。陸奥の、この地方の風習として、男が錦木を思う女の家の門に立てる。取り入れられれば、OK。だが、この曲では、女の両親が相応しい男ではないと判断したのか、そのまま3年間も、毎日の錦木を放置。女は知らない。3年も受け入れてくれなくて、男は死んでしまう。

深草の少将の百夜通いより、かなり長いのですね。しかも、深草の少将は、小町の意地悪。こっちは、女は知らなかったのです。

それを知った女が、驚き悲しんで自分も死んでしまう。女の両親は、塚(錦木塚)を立てて、錦木と共に埋葬する。

例の如く、その執念が残り、幽霊が出てきて、ワキ旅僧の回向で、二人とも成仏できました。

 

前場で状況を直面のシテ男と、ツレが語って聞かせる。

中入は、前シテは作り物の塚の中へ、ツレは後見座で控える。

ワキ語りが終わって、塚の中から後シテが「あ~ら、有難の、御弔いやなあ」と声だけだが、その存在を示すと、再び舞台に緊張が漂う。さすが・・

早舞。これも素晴らしい。舞の始め辺り、紀彰先生の右腕が、やや震える。いつもはこんなことはないのに。どうしたのかしら。疲れているか。

だが、やがてこれも治まって、いつもの舞に。

 

最後の最後、ビックリ仰天。後シテが作り物にズッカと飛び込んで、ドシッと座る。このときに囃子方の演奏もピタッと合って、一瞬にして、すべてが止まる。おお、なんという終わり方だ。感動だ。この終わり方は、今まで無かったんじゃなかろうか。紀彰先生の工夫に違いない。家元じゃないから、小書きにはならないのか。

あまりの素晴らしき終わり方で、見所中、唖然・呆然・感動。

 

附祝言の千秋楽が終わると、まだ退場していないけど、見所は堪らずに拍手。大きな。

 

特に、面の素晴らしい、後シテ、後場は、感動モノで、語り継がれるべきモノ。

どうじゃ、これが梅若じゃあ。紀彰先生は、必死に取り組んでいるのです。

良かった・・・・・。