2月5日(日) 横浜能楽堂

『プラティヤハラ・イヴェント』

  鵜澤久 一噌幸弘(笛) 藤原道三(尺八)

舞囃子 『智恵子抄』

 智恵子:鵜澤光 光太郎:梅若紀彰

 笛:松田弘之 小鼓:田邊恭資 大鼓:佃良太郎 地頭:山本順之

(休憩)

能 『卒塔婆小町』 (観世流 銕仙会)

 シテ(小野小町)鵜澤久 ワキ(僧)森常好 ワキツレ(従僧)舘田善博

 笛:一噌庸二 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:國川純 地頭:観世銕之丞

 面:「姥」(洞白 作)

 

『プラティヤハラ・イヴェント』

これが、題名なのか何かなのかもわからない。前衛的というのでしょうか、即興的というのでしょうか。

配布されたパンフに、「楽譜」の読み方など書いてあったけど、それでもわからない。

笛の名手一噌幸弘、尺八の名手藤原道三、能楽師の名手鵜澤久の3人が出会って、そこで何かが起こる、と。

休憩時間に、コンテンポラリーダンスをやっているお稽古仲間に聞いてみたら、”感動した”と。

フ~ム。

わからない世界。

 

舞囃子『智恵子抄』。初めて。そもそも能の『智恵子抄』も知らず、知っていることと言えば、あの「東京には空が無い」というフレーズだけ。

明らかに予習不足でした。有名なんだけど。

鵜澤光さんの舞は、美しく、正確だった。

紀彰師が、橋掛かりから出てきて、一の松あたりで佇立して動かない姿、舞台に入ってきて、笛座辺りで下に居をしてピクリとも動かない姿、これは素晴らしかった。立ち上がったときに紀彰先生のお袴に小さくシミのようなものが出ていたのは、きっと、下に居をしているときに、あそこは暑いのに、チョコリとも手も動かさないから、汗染みが出たのだろう。

そこまで集中して、じっと動かない姿を晒すのは、難しいことだ。

紀彰先生の舞は無かったと思う。舞囃子なのに。

なかったと思う、というのは、なんとな~んと、紀彰先生ご出演の舞台で時々意識不明になる、はっきり言えば寝てしまうと言うことが起こってしまった。

これはかなり衝撃的。あまりに動きが少なかったからか。

 

能『卒塔婆小町』、4回目だけど、うち2回は梅若会で、1回は宝生流だったので、観世流は初めて。

ストーリーは良くわかる。

鵜澤久さんのシテは、女流かどうかという枠は取っ払った感じで、まさしく能役者でした。御年70歳のはずなのだけど、身体はピタッとしていて、謡もしっかり。

パンフで、自ら「女流とは呼ばれたくない、女流というコトバは嫌い、流派は観世など五流しか無いでしょ」と話されていたが、納得。女流かどうかと言うことすら、面を被っていることもあって、まったく気にならず。

前半のワキ僧らとの問答。しっかりと、コトバも力強く。

物着後、「姥」の面に、長絹と風折り烏帽子になる。深草の少将が憑依したということ。その「姥」の面と、男衣装の異様さが際だったように感じた。まさしく、舞台上で憑依が起こっている。これは、4回目にして初めて実感した。

どうしてこの様なことが、出現したのかわからない。今まで気付かなかっただけか、鵜澤久さんの能力の賜か。

 

銕仙会なのに、梅若会の紀彰先生が主後見に付く。この動きも目が離せない。

地頭の銕之丞先生、さすがに、素晴らしい。

 

休憩前は寝落ちしたときもあったけど、休憩後のお能は、まったく眠りませんでした。

やはり、ワタクシとしては、前衛的試みより、古典芸能の方が合っている。能楽中毒なので。