12月10日(土) 川崎能楽堂
狂言 『鐘の音』 (和泉流 三宅家)
シテ(太郎冠者)三宅右矩 アド(主)三宅右近
(休憩)
能 『楊貴妃』 (観世流 梅若会)
シテ(楊貴妃)角当行雄 ワキ(方士)大日方寛 アイ(所の者)三宅近成
笛:八反田智子 小鼓:観世新九郎 大鼓:安福光雄 地頭:山崎正道
面:増かな
第1部と連続して第2部を観る方は、そう多くない。2部も見所は空いている、1部と同様。
狂言『鐘の音』、何度もか。
和泉流だから、寿福寺、円覚寺、極楽寺、建長寺と、鐘の音を順に聞きに巡る。なんか5寺だったんじゃ、なんて思い込んでいたが、鎌倉の東西南北で、4寺で良いのでした。
大藏流の方が、詳しくて、鐘の音の意味何ぞも語ったような。
アド主から咎められて、シテ太郎冠者が、謡を謡うのだが、今回は意味が良くわからなかった。前回の2022年3月の横浜狂言堂大藏流おブログと読み比べてください。
事前の告知無く、2部開始前の張り紙で、アド主が、前田晃一から三宅家の当主である三宅右近に交代した。だからかな。
能『楊貴妃』、初めて。
玄宗皇帝と楊貴妃との、長恨歌は高校時代から好きで、通信教育のZ会のペンネームで、「比翼連理」と書いて気取っていたなあ。
その長恨歌が本説かしら。
比翼連理の仲であった2人だが、さる子細あって楊貴妃は死ぬ、悲しんだ皇帝は、その魂魄を探させる。命を受けたワキ方士はやっと蓬莱宮の太真殿でそれらしい女を見つける。玉妃というとかや。楊貴妃かと確かめるに、笄(かんざし、簪)を差し出されて受け取るが、それはまあどこにでもあるので、2人の秘め事を教えて欲しいというと、あの、比翼連理の話を持ち出す。
初秋7日の夜のことの秘め語り。
天にあっては願わくは、比翼の鳥とならん。地にあっては願わくは連理の枝とならん。
間違いない。笄をもう一度受け取って、シテ楊貴妃の序ノ舞。楊貴妃もうれしいのでしょう。終わって、笄を方士に返して、方士は現世に帰っていく、残された楊貴妃は、悲しみの中で再び太真殿の作り物の中に戻る。
とまあ、こういうスト-リーで、わかりやすいのです。
が、シテの角当行雄さん。ご高齢で、観ていて心許ない。詞章を2度ほど絶句してしまって、後見から結構な声で教えてもらう。
そういう様子を、川崎能楽堂の最前列の間近に見てしまうと、あの舞も忘れてはいないか、等と不安になる。詞章は忘れても後見に教えて貰えるが、舞を忘れても教えようがない。そこ、左に回るのです、とは言えないモンね。
ワキの大日方さんの表情もよく見えるのだけど、不安そうな表情に見える。
でも、間違えてはいないような舞でした。しっかり拍も踏んで。タイミングもずれておらず。ただ、下に居になったり立ち上がったりするとき、後見にしっかりと腕を押さえて貰っていた。が、それは良いんです。高齢だから当たり前で、あの重い装束を着て、立ち座りはかなり困難だし。角当行雄さん、昭和15年生まれ、82歳かな。私が同年齢に達したら、仕舞も謡も無理だもんね。
でもでも、そんなんに気を取られて、楊貴妃の悲しみやうれしさを、身体で感じることが出来なかった。
『楊貴妃』は、今月25日に、喜多流だけど、観る予定。そちらは1972年生まれ50歳。30歳差の舞を観てきましょう。
いやいや、間違えました。『楊貴妃』は2度目でした。2019年3月、川崎市定期能で、観世流で観ていた。覚えていないのですね。ブログに書いて記録しておいて良かった。
能の次回は、18日の『定家』。シテ紀彰師。さあ、お勉強して行きましょう。