11月19日(土)
ここで宿泊した宿について記録せねばならぬ。
「菊屋」は、胃潰瘍で静養に来ていた夏目漱石が、吐血して危篤に陥ったあの宿だったんだ。
私は、高校大学時代は、夏目漱石と太宰治が好きで、大概の本を読んでいたのだけど、修善寺の大患のことも知ってはいたけど、まったく今回の旅と結びついていなかった。
何だか、えらく感動してしまって。
漱石が宿泊した当時の建物とは異なっているようだけど、歴史ある旅館だった。
それが今は共立リゾートの経営になっている。きっとバブル崩壊後色々あったのだろうけど、共立リゾートの経営にしろ何にしろ、修善寺温泉の、あの「菊屋」が残っていること自体に意味があるのでしょう。
午前中は、観光協会等が設定した「北条と源氏ゆかりの史跡めぐり」へ。
まったく大河ドラマに乗った企画で、おかげで比較的若い方々も来ていて、モバイルスタンプラリーなんぞもある。
①修善寺:1200年も前に創建された。あんな時代に、こんな山奥に、こんなに立派な寺が創建されていたんだ。修善寺と言うくらいだから、修行の寺なのでしょう。頼家が幽閉されたりした舞台でもある。
②安達籐九郎盛長の墓:鎌倉殿の13人の御家人中、もっとも中心の、古参御家人。あまり権力意欲がなかったようで、大河ドラマの中でも印象は薄い。修善寺温泉の中心街からは離れているので、こういう特別企画のチラシを持っている人でないと来ない。
③源範頼の墓:義朝の第6子で、頼朝の義弟、義経の義兄にあたる。勿論母は別々で、そういうモノだったのでしょう。木曽義仲を都から追い出し、源平合戦の一方の旗頭であって、頼朝源氏軍を勝利に導いた総大将であったのに、後に頼朝に疑われて、修善寺で自害。義経も討伐されたので、頼朝は疑い深い、悪い奴なのです。
④赤蛙公園:修善寺は漱石だけではなく、文学者の療養地になっていて、島木健作という作家(知らなかった)が療養中に、桂川を渡ろうとした赤蛙が何度も失敗して最終的に失敗した風景を見て、「赤蛙」という短編を書いたらしい。知らなかった。それを記念して、新しく親水公園に仕立てたモノ。なんと言うことはないけど、休憩ポイント。
⑤竹林の小径:修善寺と言えば、という風景の竹林。風が吹いていて、竹の葉が舞っているので風情はあったが、この辺りは観光中心で、もしかしたらワタクシは、まんまと観光協会の罠にはまっているんだと、自覚し出す。
⑥十三士の墓:頼家の部下。暗殺されたあと謀反を企てたが発覚して殺される。大河ドラマの十三人とは、まったく別でした。
⑦源頼家の墓:在位わずかで修善寺に流された後、北条に暗殺された2代将軍頼家の墓。この辺りで暗殺されたんだ、と。
⑧指月殿:頼家の冥福を祈って、政子が建立したモノ。修善寺最古の木造建物だそう。ふむふむ。まったくこの辺り大河ドラマの舞台で、修善寺は今こそ、なのです。
⑨筐湯:かつて桂川沿いに七つあった外湯の一つで、ここで頼家が入浴中に暗殺されたとか。勿論建て替えられている。入ろうかと準備してきていたけど、混んでいそうだし、面倒になってやめた。
それよりも、隣に建築されている仰空楼という塔のようなモノが良かった。上まで上がってくる人は少ないが、修善寺の景色を全貌できる。この辺りが漱石が宿泊していた部屋の辺りだったらしい。大河ドラマとは無縁だけど、こっちの方が興味を引く。
⑩日枝神社:神仏分離令までは、修善寺の守護神。範頼が幽閉されていた院の跡、庚申塚のみ、もある。
これで史跡めぐり完了。普通に修善寺温泉に来て、その夕方とか、翌日に散策するにはよろしいのではないでしょうか。来年以降は空くだろうし。
これで初期の旅行目的地はすべて廻ったのだけど、この日の昼食が特記に値する。
安兵衛というお店の、ズガニうどん。ズガニとは、狩野川で採れる河がに。これは旨いし、他の店ではやっていない。修善寺に来たら是非食すべし。但し、ライチタイム営業は短いので、ご注意。
韮山の反射炉にも廻ろうかとも考えていたけど、交通も悪いし、疲労で、パス。