9月7日(水) 国立能楽堂
狂言 『鶏泣』 (大蔵流 山本東次郎家)
シテ(太郎冠者)山本泰太郎 アド(主)山本東次郎
(休憩)
能 『自然居士』 (観世流 銕仙会)
シテ(自然居士)片山九郎右衛門 子方(童女)安藤継之介 ワキ(人商人)福王茂十郎
ワキツレ(人商人)福王和幸 アイ(門前ノ者)山本則秀
笛:赤井啓三 小鼓:観世新九郎 大鼓:亀井広忠 地頭:観世銕之丞
面:シテ「喝食」
9月から能楽の復活だけど、国立能楽堂の公演はこれしかタイミング合わず。
狂言『鶏泣』、初めて。
アド主から朝早く起こせと言われていたのに、寝坊したシテ太郎冠者が、あれこれ言い訳したあげく、アド主を言い負かせてしまうという話し。
アド主からは、「明朝一番鶏が歌ったら、起こせ」と。寝坊した太郎冠者は、鶏というのは、「歌う」のではなく、「鳴く」のだ、だから指示が悪いんだ、と言い訳し、鶏は鳴くという古歌や漢詩を沢山並べて、自説の根拠とする。対する主も古歌らしきものを話すが、でたらめで、言いまかせられてしまう。
こういう根拠に、古歌や漢詩を使うのが、当時の教養だったんだ。現代的には、まったく理解不能。
従って、役者の動きも少なく、オチも良く解らない。主の威信を示して「しさりおろう」と言うがせいぜい。
難しい狂言曲だけど、さすがの東次郎さんと泰太郎さん。
能『自然居士』は2回目。事前に「謡曲集」の中を熟読してきたので、極めて良く解る。「謡曲集」は良い。
まず、都の東山の雲居寺における自然居士の説法と子方の諷誦。東国方の人商人が来て、子方を連れ去る。
追いかける自然居士。近江湖畔の山田矢橋で追いついて、取り戻そうと、人商人の舟に乗り込んでしまう。死んでも動かないというので困った人商人は、仕方なく子方を返すが、そのままでは納得がいかないので、様々芸能を見せろと。
で、それに応じた自然居士が、中ノ舞、クセの舞、簓の舞、羯鼓の舞。そして最後に取り戻し、二人して幕入り。
こういう芸能をたっぷり見せる能。
シテの片山九郎右衛門は、動きもしっかりしているし、型も美しく、声も大きくて聞きやすく、よろしい。ファンです。
取り分け、簓の舞は、謡もテンポも大盛り上がりで、凄い。
こんなだったかな、前に観たとき。前回は、2021年8月。杉信の会。シテは銕之丞先生、地頭が紀彰先生だったと。
その時のブログを見ると、良かったと。
でも今回も良かったし、記憶に残った感じ。2回とも、かなりの役者揃いでした。ブログには詳しく書いておくものだ。
小鼓は観世新九郎。我が小鼓師匠のO先生が、ずっと後見に付いていた。頭の中で打っているのかな。
それでも、薬の副作用か、ふと気付くと寝ていたりして、我ながらイラつく。勿体ない。