8月21日(日) アルテリオシネマ川崎

監督・脚本・ナレーション ヤン ヨンヒ

 

実の母、ハングルではオモニというのか、の、半生を実写し、人生を語ったドキュメンタリー映画。

前半は、ヨンヒの夫を家に迎えるために、鶏スープを作るシーンが多い。

オモニは、在日1世で、大阪に住む。戦時中疎開に済州島に行き、戦後1948年の4.3事件に遭遇し、大阪に密航した。出国時は国内、帰ってきたときは国境をまたぐ密航だ。

オモニの夫は、済州島出身だったため、済州島に疎開しただけだった。

後半は、済州島4.3事件からみ。

 

済州島は、デジュドというが、弁護士になった後に遊びに行ったことがある。観光地であり、その時は4.3事件のことなど露も知らなかった。その後何となく4.3事件が有ったことは知ったが、4.3は蜂起の日であり、その後数年間に大量虐殺が行われたことは、初めて知った。

 

日本国内にある朝鮮総連と民団。戦前の出身地によって、区別がなされていたのだと思っていた。

済州島から逃れた「難民」は、弾圧した大韓民国に大きな不審を抱いており、多くが日本に逃れて朝鮮総連に加盟したようだ。オモニの夫も、朝鮮総連の活動家となり、金日成(キムイルソン)を崇拝している。

同様、オモニも崇拝している。

 

1980年光州事件。1983年に弁護士になったワタクシは、事務所の先輩が、韓国の民主化運動家達の支援弁護活動をしていたことから、日本国内の激しい肉体的な闘争、民団内部の、民主化を求める人たちと、反共を中心とした政権側の人たちとの闘争の実態を知った。

 

あの頃の韓国は、怖かった。KCIA。

一方、北朝鮮の実態はまだよく知られておらず、この世の楽園という宣伝も、まだ生き残っていた。

1973年か、大学の代議員大会で、金日成主席の言葉を引用して、日米安保条約の破棄を訴えた演説をしたとき、朝鮮の短波通信がこれを取り上げたことがあった。代議員大会に潜り込んでいたものがいたのだろう。ちょっと誇らしい気分になったが、不信感の方が大きかった。

 

弁護士になった後、韓国に遊びに行くことにしたのだけど、ある筋から、渡航は危険なので控えるようにとお達しがあった。当然無視して出かけたが、ある意味、緊張感はあった。そのまま逮捕投獄されて帰ってこられないのではないか。

北朝鮮の輸送船が、横浜に寄港したとき、誘われて、船内で歓迎会というか懇親会に出席したことがあった。その時服務員のほとんどが、金日成のバッジをつけていて、気軽に交換を申し出たが、キツく拒絶された。

おそらく、あの舟に乗り込むんだのは、当局の公安に見張られていたのだろう。北朝鮮と日本と。両方の権力から睨まれていた。

 

済州島に行ったのは、そのずっと後。

 

済州島4.3事件を、ちょっと解ったのが、この映画。

青年時代のこと、韓国との関わり。

戦後日本は、まだまだ、歴史の正視がが出来ていない。その点、韓国の方が進んでいる。

 

買ってきたパンフに、鶏スープ(参鶏湯、というのか)のレシピが載っていた。今度作ってみよう。単純、鶏1羽のお腹の中に、朝鮮人参、多量のニンニク、ナツメを入れて、長時間、ゆっくり煮込むだけ。

 

まったく、このブログの趣旨に沿わない記事。