7月10日(日) 横浜能楽堂

狂言組(大蔵流 茂山千五郎家)

お話 茂山茂

『茫々頭』

  シテ(太郎冠者)茂山宗彦 アド(主)鈴木実

(休憩)

『粟田口』

  シテ(大名)茂山千五郎 アド(太郎冠者)井口竜也 アド(すっぱ)茂山茂

 

暑い暑い。6月の暑さよりは良いが、それでも暑くて、横浜能楽堂への坂を登るのが辛い。

 

茂山茂のお話は、何だか家庭的な話しから始まって、どこぞのショッピングモールに子連れで出かけたらお寿司が食べたいと。そこで、有名な回転寿司屋で受付の表を見たら、55組くらいの待ちだと。こんなん良く待つよなあ、と別の店に行ったとか。狂言の解説でかようなプライベートを語るのは、お豆腐狂言だからか。

それも、悪くは無い。親しみが持てるかも。

でも、この日の狂言は、2本とも面白くない、と。そうかなあ。こっちは期待があるのだけど。

 

狂言『茫々頭』初めて。同じ曲で、和泉流は『菊の花』とか言う名前らしい。

何だか解らない曲。茂山千五郎家では滅多に掛けない曲だとか。

なかなか解説が難しい。主に無断で休み、折檻を加えようという流れは、いくつかある。そこで、京内参りに出かけたと聞いて、京の話を聞きたいからと差し許す。ここら辺りも同じ。

さて、その太郎冠者の話が良く解らない。茫々とした頭に菊を刺していたのを、さる上﨟が見掛けて、歌を読みかける。返歌などして気に入られて、三条あたりの河原での幕内引き回しての宴会に招待される。

が、酒や食べ物が出て来ないので、怒って、出てきてしまう。

それに対して、返せ返せと言われるが、何を返すのが解らないが、懐を観ると、「緒太の金剛」が出てきたので、持ってきてしまったんだろうと。

それを聞いて主が立腹し、しさりおろう、許すまいぞ、となるのがオチ。

??でしょ。一体これはなんだ。

『緒太の金剛』とは、締め緒が太い、草履のことらしい。これでも、解らないですね。

確かに面白くは無いし、意味も不明。ワタクシは、珍しい曲なので、意味を取ろうと必死。眠くはならなかったです。

 

『粟田口』は何度めか。茂山茂は面白くないと解説していたけど、そんなこと無いですよ。意味の深い狂言です。

思い出すのは、同じ大蔵流の山本東次郎家のモノ。2020年2月に東次郎家伝12番で見ている。そこでのブログにも書いてある。

また、山本東次郎著の「狂言のことだま」では、「Ⅱ 狂言という心理劇」の章で、紹介されている8曲中の2番目に、20頁以上を費やして心理劇たる由縁を書いていらっしゃる。

ここら辺りが、同じ大蔵流でも、東次郎家と、お豆腐狂言茂山千五郎家との、家風の違いだな。

一方では深い心理劇だと、一方では面白くない、と。

ワタクシは、東次郎家に一票。

シテ大名は、道具の「粟田口」を求めてこい、と命じたはず。アド太郎冠者はよく知らずに人間の「粟田口」を、万疋の高価で求めてきてしまう。ここらから、すでに買い間違えてきたかも、とは疑っているハズ。

書き付けの書と比べてみると、あれ、アド太郎冠者とすっぱの方が合っているのかしら。

強いという宣伝で、シテ大名は、疑い半分、うれしさ半分。名前を呼ばわりながら連れ歩く。粟田口や~、逢魔の鬼や~、それにアドすっぱが気持ちよく答えると、ますますシテ大名はうれしくなる。太刀や刀を預けるまで信頼する。飛び跳ねてうれしさを表現する。

が、どっかでは疑ってはいるんだ。

すっぱが太刀と刀を持ち逃げすると、やはり、と言う気持ちと、裏切られて悲しいという気持ちと、騒いでみっともないという気持ちと交錯する。

それでも最後は、捕らえてくれい、やるまいぞ、と振り絞って追いかける。

良い曲じゃあ無いのかしら。