6月26日(日) PM9~放送

狂言 『月見座頭』 (大蔵流 山本東次郎家 国立能楽堂で収録)

  シテ(座頭)山本東次郎 アド(上京辺りのもの)山本則俊

小舞 『通円』 (同 杉並能楽堂で収録)

  シテ 山本東次郎

袴狂言 『釣狐』 (和泉流 野村万作の会 横浜能楽堂で収録)

  シテ(伯蔵主 老狐)野村万作 アド(漁師)野村萬斎

 

普通は、テレビで放映されたモノは、ブログに書くことはしないのだけど、さる子細あって、書く。

 

『月見座頭』は、記録上4回舞台で鑑賞していて、うち、2回が東次郎先生がシテのモノ。

そういう意味では、このテレビ動画は目新しいモノではない。収録した国立能楽堂での会は、参加していなかったが、特に目新しいモノは無いものの、さすがに東次郎さんと則俊さんの二人の掛け合いは素晴らしく、経験を重ねた名人2人の『月見座頭』は見応えがある。

相変わらず謎の多い狂言曲。東次郎さんの解説もあって、上京辺りのものは普通の月見がしたかったのでは無いか、とも話していた。やはり、下京の、座頭が、実は素晴らしく教養人であることに、目明で、身分的には上らしい上京の者が、嫉妬したというか、悔しかったと言うことかな。

 

小舞『通円』も、素晴らしい。いつも東次郎さんの小舞は、「横浜狂言堂」のお話の後のおまけみたいに観るだけだけど、いつもウルウルしてしまう。仕舞、小舞でウルウルするのは、東次郎先生と紀彰師くらいのモノ。

 

ブログに書こうと思ったのは、なんと言っても袴狂言『釣狐』が放映されたから。野村万作師がシテ。

実は、『釣狐』は、袴狂言も普通の装束・面付きのモノであっても、観たことがない。ものの本で読んだり、評判を聞いていたりしただけ。

猿で始まり狐で終わると言われる、狂言役者にとって一人前になる登竜門。和泉流の話しらしいけど。大蔵流では、猿でデビューするだけではなく、しびり、や、伊呂波でデビューすることもあるらしい。いずれにしても、最奥曲とか、重い習いだとか。

今回は、横浜能楽堂で無観客で、鏡の間の風景もいれた、特別映像作品。

 

お能のように、次第で始まる。杖の構え、ハコビ、名ノリと続くと、もはや、狂言ではなく、能の世界。しかも、袴狂言で直面なので、万作師の表情が見えてしまう。誤魔化しがきかないのです。

 

しっかりと見据えた眼。腰の屈み具合。語りの口調。どれも非の打ち所がない。まさしく至芸。

副音声の解説付きで観ると、良く解る。一度目は解説付きで、二度目は解説無しで鑑賞したい。

前シテが犬に怯える様、家に入ろうとするときの緊張感、アドを見据えての説教語り。狐は神様だと。お稲荷様のこと。

狐釣りを止めるよう説得して、一応成功して、安心して、古塚に帰ろうとする。帰りに、捨てさせた釣り道具とそこに付いている鼠の唐揚げ、つまり、おいなりさん、を見つけてしまって、欲しくなるが、我慢して一旦は古塚に帰る。そこらの心境の変化が、直面の中で、鋭く示される。

仲入で鏡の間に戻る風景も、絶対に見られない。囲いに覆われて、その中はやはりヒミツ。

後場では、普通ならば後シテは狐のぬいぐるみを纏っているが、今回は袴狂言。直面で、狐の表情や声、仕草を表現する。まさしく憑依している。万作が狐になりきった。絶対に袴狂言の方が難しいと思う。ぬいぐるみは、年齢的に困難なのかもしれないけど、万作師以外にかような袴での『釣狐』を演じられる役者がいるだろうか。

置き去りにされている鼠の唐揚げ。おいなりさん。取って食べて良いものかどうか、葛藤する狐。叫び。最初は遠くから。段々と近づいていく。誘惑に負けるか。あれこれ言い訳も考える。心理的な葛藤を直面で表現。直面でも、狐に見えるから不思議。

それを物陰からじっと見守る、アド漁師の萬斎。その眼光の鋭さ。

遂に、誘惑に負けて食いついてしまって、罠に捕らえられる後シテ老狐。その時の、万作の表情。しまったという後悔だけではなく、悲しみの表情。誘惑に負けてしまったのだ。いけないとは十分に知りつつ。やってしまった・・。

やっと逃げ出せて、鏡の間に逃げ戻る。やはり囲いの中。そこで、老狐から万作に戻るか。

どうしたらこんな表情が生まれるか。やはり、老狐がそこにいて、万作は仮の姿か、と思わせる。直面の方が豊かな表現力を持つ。万作師の至芸ここにあり。

 

もう、万作師の『釣狐』は観られないのでしょう。この映像作品は、長く語り継がれていく。きっとDVDになるか。

と言う訳で、録画していました。ラッキーです。