6月18日(土) 横浜能楽堂

狂言 『富士松』 (和泉流 野村万蔵家)

  シテ(太郎冠者)野村萬 アド(主)野村万蔵

(休憩)

能 『関寺小町』 (観世流 銕仙会)

  シテ(小野小町)観世銕之丞 子方(稚児)谷本康介

  ワキ(関寺僧都)宝生欣哉

  笛:杉市和 小鼓:囃子吉兵衛 大鼓:柿原弘和 地頭:浅井文義

  面:シテ「姥」(洞白 作)

 

横浜能楽堂三老女企画の最終回。今回も豪華メンバー出演。

 

狂言『富士松』は初めて。

内容は、勝手に出仕してこない太郎冠者。きっと成敗してやると怒る主だが、富士講に行ったと聞き及び、富士松を呉れれば許そうと。なんでも富士松は有名なんだそう。

頼まれて求めてきてはいた太郎冠者だが、主は、連歌の付け合いに主が勝てば貰うと独り決め。

そこから連歌の付け合い合戦になるのだが、ここからが和歌が聞き取れない。沢山出てくるのだけど。相当の教養が無いと、聞き取れないし、オチの意味も解らない。結局主は負けたのかな。

能が、和歌の能だから、その関係で和歌尽くしの狂言曲を選んだのでしょう。人間国宝野村萬93歳。ちっとも和歌を言いよどむことなく、しっかりと。

でも、意味が解らないと眠くなる。

 

能『関寺小町』、1月29日の金春円満井会公演に続いて、2回目。そっちのブログとも読み比べてください。

稚児に和歌を教える零落した小町。和歌の勉強をするためには、「難波津の歌」と「安積山の歌」から初めて、勉強して行けと。

女流の歌と言えば、

「我が背子が 来べき宵なり ささがにの 蜘蛛の振舞い かねて著しも」

これは衣通姫(そとおりひめ)の歌の流派。

ついで、

「侘びぬれば 身をうきくさの 根を絶えて 誘う水あらば 往なんぞと思う」

は、小町の歌だから、ここで、みすぼれた老女の正体が小町とばれる。

こういう和歌の知識が、能の理解には必要。なんて言っても、新潮日本古典集成「謡曲集・中」から予習しただけ。

七夕の宴となり、稚児の舞に続いて、小町も舞うことになる。この舞が、ゆったりと優雅に続く。

銕之丞先生。ちょっと朗々と謡いすぎ。身体も大きめなので、零落した老女という雰囲気には、身体では無理。でも、腰をかがめたり、伸ばしたり、座ったり、杖にすがって立ち上がったり、百年にも及ばんとする老女の舞としては素晴らしい。

特に、最後、朝になってしまって、藁屋に引っ込み、座り込んで、謡も終わった後に、再び立ち上がり、ゆっくりと外に出て、橋掛かりを下がっていく。その動きは素晴らしい。

下がっていく順は、シテ、子方、ワキ、ワキツレの順。前回と違う。

見所もじっと静かに見守る。良い感じ。

前回の、金春流と比較するだけの能力は無いが、観世流の謡の節付けが身に染みていて、心地よい。

 

ちと、個人的な事情があって、能に集中できない。それは残念だけど、致し方ない。