6月10日(金) 神奈川県民ホール

指揮者:広上淳一

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番

  ソリスト ボリス・ベルキン

(休憩)

ショスタコーヴィチ:交響曲5番

 

前回の記事でも書いたように、指揮者がラザレフから広上に変更。まさしく急遽で、ロシア・ウクライナ問題の存在に対する、ラザレフか、日フィルか、双方かの思惑と協議による。

これはまさしく、ムムムであるが、どうしたもんじゃろうのお。

第1曲の作曲家プロコフィエフを紹介したプログラムの文章に、「現在のウクライナ・ドネツク州で生まれた。」とあった。

以前にこの様な紹介はあり得なかった。しかも、今となっては、多くの人がウクライナ・ドネツク州というと、地図上や、戦闘地域と言うことで、知っている。

こういうことが、指揮者の変更に影響している現れか。

ラザレフは、生粋のロシア人。

 

プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。プロコフィエフも、その作曲曲も、あまり馴染みがない。つまりCDは持っていない。YouTubeで、聞いては来たけど。

でも、生演奏を聴くと、20世紀の現代音楽で、気持ちよいメロディーなどは少ないが、なんという難曲か。難曲というのは、聴きづらいと言うことではなくして、演奏家が大変だなあ、という感じ。

あの、音の変化、連続。

何だか、演奏中に、『はげ山の一夜』を思い出す。あの作曲家はムソルグスキーでしたね。

その中で、ソリストのボリス・ベルキン。ベテランらしく、しっかりと、貫禄たっぷりで、堂々と演奏。素晴らしい。

後で調べたら、1948年1月生まれの74歳。

ご高齢で、あの曲を、約30分演奏し続けたので、披露してしまったのだろう。何度大きな拍手をしても、ソリストアンコールはしなかった。最後のカーテンコールでは、ヴァイオリンを置いて出てきて、もうお仕舞いですよ、アンコールは無しですよ、のサイン。やむなし。

 

ショスタコーヴィチの5番。これは大好きな曲。最近も聴いた記憶あり。過去プログラムを見たら、2021年4月の第366回横浜定期だった。

泣くぞと開始前から想像していたが、やはりね、泣きました。特に第4楽章の最初と終曲部の1~2分。ティンパニと、ラ音が続く弦。素晴らしい。

この第4楽章は、様々な解釈があり、指揮者によっても演奏が違うらしいけど、そんな難しいことは良くわかりません。とにかく、宜しいのです。

確か、スターリンの葬儀のBGMで流れたとか。反帝反スタのワタクシとしては、これはムッとくる話題なのだけど、それを越えて、名曲でしょう。

どうしても、ブラボー声を掛けたくなるが、ダメです。大きな拍手だけ。

ティンパニのエリック・バケラ、フルートの真鍋恵子。ファンです。良い音でした。オペラグラスでしっかりと。

 

広上の指揮ぶりは、個人的に“豆タンク”と呼ぶのだけど、良いよね。大きく盛り上がるときの左手の動きはコバケンに似てきたか。

 

良い演奏会でした。

ソリストアンコールは期待したけど、無くて仕方なし。お疲れ様。

最終アンコールは、ショスタコの5番ならば、無しで良し。

時間が余るかと思ったが、第2曲の楽章間でゆっくり間合いを取って、時間調整か。