5月28日(土) 国立能楽堂
能 『俊成忠度』 (観世流 九皐会)
シテ(平忠度)観世喜正 ツレ(藤原俊成)観世淳夫 トモ(俊成の従者)中森健之介
ワキ(岡部六弥太)野口能弘
笛:竹市学 小鼓:幸正昭 大鼓:原岡一之 地頭:鈴木敬吾
面:シテ「業平」(洞水 作)
狂言 『宗論』 (大藏流 茂山家と東次郎家)
シテ(浄土僧)茂山千五郎 アド(法華僧)山本泰太郎 アド(宿の亭主)松本薫
(休憩)
能 『綾鼓』(宝生流)
シテ(庭掃きの老人 老人の怨霊)金井雄資 ツレ(女御)小倉健太郎
ワキ(臣下)工藤和哉 アイ(従者)茂山逸平
笛:一噌隆之 小鼓:成田達志 大鼓:河村眞之介 太鼓:三島元太郎 地頭:朝倉俊樹
面:前シテ「阿古父尉」 後シテ「大悪尉」 ツレ「小面」
5月20日(金)のお能を、さる子細によってパスしてしまったので、5月11日(水)以来。痺れを切らしていた。2週間以上も空くなんて。
能『俊成忠度』、初めて。類曲というか、関連曲というか、『忠度』は2度観ている。元となった、一ノ谷で死んだ平忠度が、戦の前に都に帰って俊成に和歌を託す、と言う逸話は同じだけど、だいぶ違う。
まず、ワキが旅僧ではなくて、忠度を討った岡部六弥太であること。僧に回向を頼むと言うことではなくなる。複式夢幻能ではなくて、シテ忠度は、最初から幽霊で登場する。回向して成仏するのではなくして、自分の和歌の徳で救われる。
『忠度』の作者は世阿弥らしいが、『俊成忠度』は別人作で、1世紀も後のこと。
ワキ六弥太が、ツレ俊成を訪ねるところから始まる。詞章に出てくる和歌は、同じく、「行き暮れて 木の下蔭を宿とせば 花や今宵の主ならまし」と「ささ波や 志賀の都は荒れにしも 昔ながらの山桜かな」の2首。
千載集に、詠み人知らずとして入選したのも同じ。いずれも、平家物語とは違う。
どういう意図で、1世紀もたってから、この逸話を基にした能を作曲したか。
シテの観世喜正さん。素敵です。声も良いし、動きも大きくしっかりと、舞もしっかりと型が美しい。
サシ、クセの舞。カケリに入ると、太鼓が打たれて、一ノ谷の合戦の様子を力強く舞う。
小鼓の幸さんは、名字からして幸流かと思ったら、幸清流だって。色々あるのでしょうね。幸清次朗さんのご長男でした。
案外短くて40分。
引き続いて狂言『宗論』。何度も観ているし、ストーリーもわかりきっているから、予習段階でやや油断したが、なんとシテの浄土僧は茂山千五郎、で、アドの法華僧は山本泰太郎。大藏流ではあるが、お豆腐狂言の茂山千五郎家と、謹厳実直な芸風の山本東次郎家の合作でした。
こんなこともあるのです。これに気付いてから、見逃してなるマジと、じっと鑑賞。
なるほど、からかう側の浄土層には千五郎家、からかわれる側の法華僧には東次郎家。良い配役かも。そのような演じ方で、面白い。
最後の、合従連衡して、「妙 阿弥陀仏」と一緒に唱える辺り、ピタッとは揃わないのは致し方ない。
和国の宗教は、こうして平和的に共存していくのです。良いなあ。
珍しい配役を堪能しました。50分。能より長い。
能『綾鼓』、初めて。DVDを持っている。
類曲というか、同じ発想の『恋重荷』は観たことがある。
庭掃きの老人が、ふと見そめた女御に恋をしてしまい、鼓を打って宮中(といっても、京ではなくて、筑前国の出先の皇居のこと)まで聞こえれば、かの女御が姿を見せてやる、という。
この物語は、卑しい老人が、女御なる貴人に恋をしてしまった、報いを示すモノなのか、どうか。この辺りが、事前学習からの謎で、ここを中心に鑑賞していく。
結論は、綾鼓を桂の木に掛けて、打ってみよという策略は、かの女御の発案だった。
もともと庭掃き老人のような卑しきモノは、太鼓など打てないだろうし、打ったことも見たこともなかろう。しかも、綾が張ってあるから、打って音が出るはずがない。それを敢えてやらせる。音が出れば、姿を見せてやる、と餌を散らかせて。
これって、完全な、罠というか悪戯というか、いじめだよね。
打とうとしても音が出ないのに絶望して、前シテ庭掃き老人は、桂の池に身を投げて死んでしまう。音は出るはずはないんです。
あの老人死んじゃったよ、と教えられて池に出てきた女御、「波の音が鼓の音に似ている、あら面白や」と楽しんじゃってる。酷い女御だ。
そこで、太鼓附の出端になり、幽霊の登場、後シテは怨霊だ。人間国宝三島元太郎の太鼓。そのリード感がたまらない。
怨み果たさで措くモノか、女御を責めて、懲らしめる。池の畔にいた女御は追い詰められて、小さくなっている。憑いてやるぞ、と。
ざまあ見ろ、だ。
でも、後シテ怨霊は、呪い殺すのではなくして、恨めしい、恨めしいと、池の中に姿を消す。「恋の淵にぞ入りにける」という最後の詞章は、やや自虐的か。
どうでしょう、こういう解釈。これで物語として、とても面白いものになりました。
小鼓の成田さんは、幸流。幸清流と違いはわからない。
いや~。能って、本当に面白いモノですねえ。70分、お目々ぱっちりで。
ふと、淀川長治を思い出してしまった。日曜洋画劇場の解説。映画評論家。能の評論家も、能が好きで好きで仕方ない人が評論した方がよろしいと思う。その点、しゃちこばった学者先生より、馬場あき子さんの方が、数十倍良い。
能は楽しまなくちゃ。観て楽しんで、お稽古して楽しんで、お勉強して楽しんで。
トリプルお楽しみの、高等遊民、能楽中毒者。