5月11日(水) 国立能楽堂

狂言 『秀句傘』 (大蔵流 宗家)

  シテ(大名)大藏吉次郎 アド(太郎冠者)善竹大二郎 アド(新参者)大藏教義

(休憩)

能 『夕顔』・山の端之出 (喜多流)

  シテ(里の女 夕顔の上)粟谷明生 ワキ(旅僧)宝生欣哉 

  アイ(所の者)茂山忠三郎

  笛:松田弘之 小鼓:観世新九郎 大鼓:亀井広忠 地頭:長島茂

  面:シテ「宝増」

 

なんだか今回の能会は、つまらなかったな。しっくりこない。

 

狂言『秀句傘』、初めて。

秀句=こせ言とも言うと詞章。洒落ですね。その会があって、良くわからない、つまり、機転の利かないシテ大名に、アド太郎冠者は教えられないから、アド新参者に教えてもらう、という話しのようだけど、35分の上演時間の内25分くらい寝てしまったので、良くわからない。

 

能『夕顔』も初めて。

源氏物語の中で、なかなか気になる女性である夕顔の物語を題材としたモノ。源氏物語は、平安時代当時は、まったく教養書というか、基本的読み物というかだったはずなので、その中の登場人物の物語を能にしても、しっかり理解されたはずだし、魅力的な能だったのでしょう。

現代においては、ワタクシも寂聴訳を通読はしているモノの、そんなに詳しくはない。ので、あまりそれだけで楽しいというお能ではなかった。

前場は語りばかりで。後場の序ノ舞は美しかった、と言う程度でした。済みません。寝はしなかったです。

 

実は、小鼓方の観世新九郎さんが、お目当てと言えばお目当て。ワタクシの先生の師匠。どんな手を、どんな風に打つのかしら、と注目して観ていた。ああ、三地ね、とか、ツヅケね、とか、チの音ね、プね、ポね、とか。それなりに楽しかった。

先生が新九郎先生の後見で後ろに座っていた。小鼓方の後見って何をするんだろうかとも注目していたけど、最初に床几に腰掛けるときのお手伝いや、最後に片付けるときのお手伝いとか。多分予備の小鼓を持ってきていて、ずっと後ろに控えていただけだった。目をつぶっていたが、頭の中で打っていたんだろうなあ。お勉強かな。

小鼓方観世流は、仲入や終演時に床几から降りたとき、大抵は大鼓方と小鼓方が向き合わせに座ると思っていたのに、笛方と向き合わせに座っていたなあ。

いままで、ほとんど気にしていなかったけど、観世流小鼓方の流儀なのかしら。アレッと。

 

まあ、こういう能の会もあるし。

高等遊民の小鼓のお稽古はまだ続いていて、なかなか面白い段階に来た。止めそうもないな。