2月26日(日) 横浜能楽堂

お話し 川瀬隆士 シテ方宝生流

狂言 『大般若』 (和泉流 三宅家)

  シテ(住持)三宅右矩 アド(巫女)三宅近成 小アド(施主)金田弘明

  笛:栗林祐輔 小鼓:田邊恭資

(休憩)

能 『黒塚』 (宝生流)

  シテ(女・鬼女)髙橋憲正 ワキ(阿闍梨祐慶)大日方寛 ワキツレ(同行山伏)野口琢弘

  アイ(能力)高澤祐介

  笛:栗林祐輔 小鼓:田邊恭資 大鼓:柿原光博 太鼓:金春惣右衛門 地頭:金井雄資

  面:前シテ・曲見(作者不詳) 後シテ・般若(作者不詳)

 

普及公演と言うことで、能サポという字幕表示をスマホやタブレットでできるというので持参したが、うまく行かない。まあ、2年以上も能に親しんでいるから、必須アイテムではない。

 

お話しは、普通。

 

狂言『大般若』、初めて。

ある施主の家に、アド巫女が神楽を上げに来て、更に、月例と言うことでシテ住持も大般若経を読み上げるために来て、鉢合わせ。シテ住持が大般若経を読み上げていると、といっても、あまりに長いので、何やら呪文を唱えながら折りたたんだ経典をパラパラと往復させる方式、“転読”というのだそう、をしていると、笛と小鼓が入ってきて、賑やかな神楽を奏し始める。アド巫女は手に鈴も持って、拍も踏みながら、まるでお祭りのよう。

邪魔だとシテ住持が施主に苦情を言い伝えるが、巫女はお構いなし。仕方なく、住持は橋掛かりに逃げて転読するが、段々と楽しくなってきてしまって、神楽に引き込まれて、マネを始めて、一緒に神楽のお祭り囃子。調子に乗ってしまって、今度は、巫女にぶつかるなどして、邪魔になる。巫女に追いかけられて、許してくれい、お終い。

『宗論』は、互いの仏教の中の宗派になりかわってしまうのだけど、ここは神教の勝ち。面白いね。

 

能『黒塚』、4回目で、過去3回は、すべて観世流で『安達原』。

平兼盛の「陸奥の 安達ヶ原の黒塚に 鬼籠もれりと 聞くはまことか」という歌が基本になっている。

前場は、安達太良山の麓で、一夜の宿を求めるワキ僧ら。断るが、可哀想だと迎えるシテ女。糸繰りなど日常生活を見せながら、昔の京を思い出すような語り。何やら、光源氏との関わりもあったような口ぶり。寒いからと、山に柴を取りに出かけてくれる。閨を覗くなと念押しして。

が、興味津々の能力が覗いてしまい、教えられてワキ僧も覗くと、人間の死屍累々。悪臭。

後場で、恐ろしくなって逃げ出したワキ僧を、鬼女となった後シテが般若の面で追いかけてくる。柴を背負っているが、橋掛かりですぐに下ろしてしまう。後は、後シテとワキ僧の戦い。鬼女は杖で打ちかかる、一口に喰ってしまうぞ、と。

僧は祈りで対抗する。五大明王、真言、呪文。遂に祈り臥せられ、杖を扇子に持ち替えて、恥ずかしいと、足下はヨロヨロと消えていく。成仏したのではないようだ。

なぞの多い能。

シテ女・鬼女は、いかなる人物か。安達ヶ原に一人住まいして、どうやらかつては都で優雅な暮らしをしていたらしい。それが、実は閨に死体を集めるような鬼女。ただし、この僧らを喰ってしまおうとして待ち構えていたのでは無さそう。親切に、寒いから柴を山に取りに行って上げようとする。実際に、取って持ち帰るのだ。

柴で温めて、油断させて寝入りばなを襲おうという算段でもしたという解釈か。

読書中の馬場あき子著「鬼の研究」に取り上げられている。

平兼盛は、地方廻りをさせられたときに、これまた都人の女を連れて行ったモノの、放置してしまったのではないか。それが、前シテ女。人食いになったというのは、理由はわからないが、とにかく凄惨な生活を送っていたのでしょう。たまたま諸国行脚の僧が立ち寄り、請われて泊め、懐かしのひとときを過ごしたか。あるいは、しめしめと思ったか。

どっちなんだろう。

閨を見られて、鬼女と化して追いかけてくる。喰ってしまうぞと言いながら、食べるのが目的だったか、秘密を見られて困り、恥ずかしいので、殺してしまおうと思ったか。

前述の「鬼の研究」によると、後場の鬼女面は、”般若”か、”しかみ”かという考えもあるらしい。馬場あき子は”しかみ”説。

そもそも、般若って、本来の意味では、パーラーミータだから、般若心経。それが狂い、怨念に捕らわれた女は、鬼女となり、般若面をつけるというのは、どういうことか。

「鬼の研究」は、名著で、考えさせられる。

 

高等遊民、能楽中毒。能の物語と、詞章の意味の読み取りまで加わってきて、奥深く楽しい。