2月23日(水・祝) 国立能楽堂
おはなし 山本東次郎 聞き手大谷節子
狂言 『佐渡狐』 (大藏流 山本東次郎家)
シテ(佐渡の百姓)山本東次郎 アド(奏者)山本則重 アド(越後の奏者)山本則秀
(休憩)
能 『花月』 (喜多流)
シテ(花月)長島茂 ワキ(旅僧)則久英志 アイ(清水寺門前ノ者)山本則孝
笛:松田弘之 小鼓:住駒充彦 大鼓:白坂信行 地頭:中村邦夫
面:喝食
おはなしの企画は、どういう意図から組み込まれたのか不明だけど、東次郎さんのお話はいつも面白いし、為になる。ただ、あまりに素人向けの質問ばかりしたがる聞き手の大谷節子さん。大谷さんが悪いのではなくして、企画の意図がつかめないのです。だから、質問に答えると言うよりは、質問を契機に東次郎さんはいつものように、喋りたいことを喋る。
結果的には、これでよいのだけど。
印象に残った話しは、順不同で。
国立能楽堂開場が昭和58年で、それ以来377回という最多出演だそう。
狂言は、この能楽堂ができる前迄は、能と狂言が9:1位の重点の置き方で、つまりは、見所も能のお稽古をしている素人弟子達ばかりで、大抵謡本を開いている。能が終わると、さっと見所から引いて行き、食事やら交流やら、残った1割2割の人が狂言を観ているだけで、次の能を待つ、という具合だった。それが、国立能楽堂ができてからは、狂言をひとつの能楽として取り扱ってくれて、6:4位にして扱ってくれた。
もし見所にいたらどうするか、ということに対して、楽しめないでしょうね、あそこはこうしたら良いんじゃないかとか、こうしたらどうか、なんてばかり考えてしまう。
別の人生は、という質問に対して、即答したのは、考えられない、もう良いわ。
すごい人だ。ワタクシくらいの、能楽愛好者は、むしろ狂言から入って、能にあたる、という感じなのだけど。萬斎の力は大きいんだろうけど、東次郎さんや、万作さん、萬さん、茂山千作さんら、狂言方の努力は大きいのでしょう。。
東次郎さんは、伝えたいこと、伝えなくちゃ行けないと思っていることが沢山あるのでしょう。横浜能楽堂の狂言堂でも、東次郎家にあたる会では、必ず東次郎さんが、蘊蓄あることを話し、最近では、小舞を舞う。
狂言『佐渡狐』、3日前に、三宅家で観たばかり。
則俊さんが、加療のため休演して、配役が交替したのだけど、よく解らないのは・・
もともとシテ(奏者)が則俊→シテ(佐渡の百姓)が東次郎に。
もともとアド(佐渡の百姓)が山本則重→アド(越後の百姓)が則秀に。
もともとアド(越後の百姓)が則秀→アド(奏者)則重に、
と、交替。解りますか。シテ奏者だけ、則俊さんから東次郎さんに交替すれば良いのに、シテの交替で、シテの役が奏者から佐渡の百姓に変わる。それで、それ以外にも変わってしまう。
シテは奏者役をするモノと思っていたけど、違うのだね。東次郎さんが出演するならば、シテで無いとマズくて、さらに、東次郎さんは何らかの事情によって奏者役は避けた、ということか。袖の下を貰う役は嫌だったのか、それとも、すわったままぴょんと跳ねる仕草が足腰の具合でできなかったからか。
まあ、どうでも良いことなんですが、気になったモノで。
奏者は、賭け事の判断をすることそのモノを嫌がっていた。佐渡の百姓は、佐渡には狐はいないことは十分自覚、自白しつつ、袖の下を渡して、「いる」という判断をしてもらう。つまり、賄賂は、判断をすることと、佐渡の百姓を勝たせることの、2重目的でした。法律用語では「請託」というのです。
そのほかにも、多少の演じ方の違いもあって、何となくだけど、決まった伝統芸は、特別な思い入れでもない限り、変更を加えないのかと思っていた。そうでもないのかな。それともそうなのかな。今後の東次郎家の『佐渡狐』は、この新演出で行くのかな。
次回、東次郎家の『佐渡狐』を観る機会があったら、比べてみましょう。
能『花月』、2度目。初回は、2019年12月梅若会定式能で。2年とちょっと前だけど、何にも解っていなかったんだね。
花月、というのは少年の名前ね。7歳の時に親と別れて、まあ、天狗にさらわれる。生き別れや行方不明は、天狗にさらわれたという伝承というか、迷信というか、説話というか、でしょう。
このあたり、馬場あき子著の「鬼の研究」の成果。名著です。能楽愛好者は是非一読を。
花月は、喝食面に侍烏帽子、弓矢を携えて登場。何歳の設定なのか。まあ、青年。弓の名手という設定でしょう。
詞章に、養由、という人名が出てくる。調べてみたら、春秋戦国時代の楚の国の武将で、弓の名手。昔の人は、取り分けて武人には、人口に膾炙していたのでしょうね。養由基が、姓名。彼の故事に習って、桜花をついばむ鶯を射んとするが、殺生戒で思いとどまる。
それで、クセ舞、羯鼓の舞、キリの舞と続く。
キリの舞は、紀彩の会の仕舞お稽古で、仲間が舞ったモノで、馴染みがある。難しいし、長いのだけど、よくできましたね。いや、今回のシテ方もですが、仲間の仕舞も、です。
実在の芸能者をシテにしたのは『百萬』と同じで、しかも、両方とも、子別れで、再開できるハッピーエンド。『隅田川』とは大いに違う。
花月青年は、実在の半俗半僧の芸能者であったらしく、能の舞を見せる曲で、舞は見せ所。立派に、優雅に舞っていました。
詞章の中には、清水寺の縁起の部分もあって、能『田村』で出て来るのと同じ文句。こういうの、お稽古の成果でもあって、うれしい、楽しい。他の曲とつながって見えてくる。
高等遊民。お稽古と観能経験と、予習と。益々能楽中毒に染まっていく。
ちょっとだけだけど、小鼓のお稽古を覗かせて頂いた時の経験から、素謡と囃子附の謡は、別物と言っても言いすぎじゃ無いような感じ。その手で、素謡を知った曲を聴いてみると、囃子方の様子が気になって、新たな楽しみが。
どんどん、能楽中毒への病膏肓。