2月2日(水) 国立能楽堂
狂言 『簸屑』 (和泉流 野村万蔵家)
シテ(太郎冠者)野村萬 アド(主)能村晶人 小アド(次郎冠者)野村万之丞
(休憩)
能 『室君』 (金春流)
シテ(葦提希夫人)櫻間金記 ツレ(室津の遊女)山中一馬、政木哲司、澤翼
アイ(室津の長)小笠原由祠
笛:竹市学 小鼓:森澤勇治 大鼓:石井保彦 太鼓:中田弘美 地頭:本田光洋
面:シテ・節木増 ツレ・小面(3面)
今回の定例公演は、狂言、能とも初見。
狂言『簸屑』。シテ太郎冠者役が、野村万蔵から野村萬に交替。濃厚接触者が出たためと。ひたひたと。
宇治橋の橋供養に、沢山の方が見えるから、お茶(薄茶)の接待をしようというアド主。シテ太郎冠者に茶を挽けと命じる。面倒くさいが仕方なく承る。その茶葉が、品質の悪いモノ。よく精製された後に残る葉脈などの部分。簸き屑、というらしい。薄茶の茶挽きは時間がかかる上に、吝い主人で、やる気が出ないシテ太郎冠者。挽きながら寝込んでしまう。小アド次郎冠者が起こそうとするも起きないので、いたずらに、顔に鬼の面をつけてしまう。「武悪」だけど。
帰ってきたアド主が、それを見て、鬼が出たと騒ぐ。シテ太郎冠者は、自分がお面を被せられたとは気付かず、なんで鬼というのだ、と不審。追いかけ回す内に、面が外れて太郎冠者だと気付かれる。次郎冠者は、虚けよ、虚けよ。太郎冠者が追いかけてお仕舞い。
思いがけずに、人間国宝野村萬の演技を観られて、幸せ。さすがに、代役とは思えず、しっかりと。
今回のプログラムの解説は、村上堪氏が担当であるが、その解説によると、「昔、遊郭で客の付かない遊女に罰としてこの単調な労務を強いたところから、水商売で客の来ないことを現在でも『お茶を挽く』と称す」と。語源だね。
石臼で、ゆっくりと熱が出ないように挽かれるが、ひとつの石臼で、1時間で、薄茶20服分だそう。
狂言『通円』で、お茶を点てすぎて死んでしまう話があるけど、300人分だとすると、1基で15時間か。お茶を点てるより、お茶を挽く方が大変そう。
能『室君』もめずらしいお能。金春流と観世流しか無いが、いずれも上演は少なく、稀曲。
シテの葦提希夫人って、誰か。解らないですよね。
インドのマカダ国の王・ビンバシャラの妻で、イダイケ・ブジンと読む。息子に幽閉されてしまい餓死しそうな王ビンバシャラを救おうと食料などを隠して渡していたが、バレてしまって、夫人も幽閉される。が、悲運の中で悟りを開き、至難の求道に身を投じたらしい。平家物語の最終巻にも登場するようで、葦提希夫人は、受難受苦の聖女で、慈母のような方、らしく、中世の方々はよく知っていた方なのですね。そういうことが解らないと、お能の意味がまったく解らない。
ツレの室の君って、どんな方々だか、解らないですよね。
配役表には室津の遊女とあるから、遊女だけど、題名の『室君』とは、この室の津の遊女のことでした。当時の遊女は、歌舞音曲に秀でていて、本曲でも、ワキの室明神の神職が、神事を行う際には、室の君たちが、着飾って、舟に乗って囃子ごとで参詣するのが習わしだと。そういうことが解らないと、このお能で、着飾った遊女が、舟に乗って登場する意味がまったく解らない。お能には、あちこちで遊女が登場するけど、文化の担い手でもあったのですね。
そしてそして、室明神とは、賀茂神社と親戚みたいで、その本地垂迹説の、本地がどうやら葦提希夫人らしい。
こういうことも解らないと、お能の意味が解らない。昔の方々は、常識だったんでしょうけどね。知識と教養の無い現代人には理解不能。という訳で、稀曲かな。
これ全部、前記した村上堪氏の解説によります。国立能楽堂のプログラムに掲載される解説は、実に、よくできている。執筆者たちも有能な方ばかり。プログラムは、必読文献ですね。
お能自体は、神事が始まって、ツレ達が、登場して、舟の狭い作り物の中で、クセ舞を舞う。狭くて、大変。
次いで、要望されて、舟を下りた主ツレが1人で神楽を舞う。
次いで、最初から舞台上に出されている作り物の幕が引き下ろされると、そこにはシテが入っていて、出てきて、優雅な中ノ舞を舞う、というモノ。
舞のお能。
シテの謡はまったくない。韋提希夫人とか、室君とかの解説詞章も無くて、事前学習するしか無い。
でも櫻間金記、1944年生まれ79歳か、お年の割にはしっかりと舞いました。主ツレの山中一馬、1957年生まれ64歳か。狭い舟の中であのクセ舞ね。よくできました。
3人目のツレが、コロナ感染したらしく、急遽交替。交代要員の澤翼、まだ若いらしくて、橋掛かりからの登場で、摺り足が上手くできず、頭が上下するし、作り物の中でも面でよく見えないのか、もたついていたけど、仕方ないよね。まだ経験不足。それとも緊張したか。
今月のテーマは、特集「能を描いた近代の画家」で、本曲に合わせたのは、大正5年、松岡映丘作の「室君」という絵。重要文化財だって。4人の室の遊女が、雨の中くつろいだりしている。1人は、胸の乳房を覗かせて、庭を打ち眺める。
この絵が素晴らしい。細部にも丁寧に筆が入っている。雨の降る様子。すだれを通して見える家具衣装。庭の草。永青文庫蔵だって。一見の価値がありそう。
能にはこういうシーンは無いが、着想は得ていたのではないか。同じ題名だもの。こういう画があって、今回この曲にしたのでしょう。
飾っておきたいような、素晴らしい日本画。ホンモノは六曲一双の屏風絵。大体、春画は女性の胸には興味が無いようだけど、大正時代ともなると興味が出てくるのか、色っぽくて、素敵なのです。
今月に国立能楽堂に出かける方は、是非プログラムの購入を。
また、長くなってしまった。高等遊民、不思議なお能を楽しませて頂いた。