12月23日(木) 国立能楽堂

講談 『貧乏業平』 旭堂南左衛門

落語 『千早ふる』 三遊亭小遊三

(休憩)

素囃子 『男舞』

  笛:小野寺竜一 小鼓:鳥山直也 大鼓:佃良太郎

狂言 『業平餅』 (大蔵流 山本東次郎家)

  シテ(在原業平)山本泰太郎 アイ(餅屋)山本則重 アド(稚児)山本則光 アド(随身)山本修三郎

  アド(長柄持)山本東次郎 アド(餅屋の娘)山本凜太郎

  笛:小野寺竜一 小鼓:鳥山直也 大鼓:佃良太郎

 

◎狂言と落語・講談ー特集・在原業平、という企画公演。

国立能楽堂の舞台で、講談と落語はどうなるのだろうかと。

 

能楽中毒者にとっては、在原業平は馴染みのある(といっては失礼だけど)人物で、能の関係では、ワタクシなぞも知っているのは、『井筒』、『杜若』、『雲林院』がある。考えてみると、在原業平そのもの、あるいはその幽霊がシテとして登場するのではなくして、主として、業平の和歌を中心に、詞章が組み立てられている。

この前習った仕舞『雲林院』クセは、業平と后の出奔事件。今度習う予定の『井筒』キリは、業平の幼なじみの女の話。

業平は、和歌と、その付き合った女性関係で有名なのだ。素敵だなあ。一つの理想型。

 

講談『貧乏業平』は、業平は登場せず、大金持ちになる前の紀伊国屋文左衛門の話らしい。

寝てしまったので、わからない。

 

落語『千早ふる』は有名で、何度も聴いているが、小遊三は実はテレビ以外で直接聴くのは初めて。なかなか実力派なのかも。現在の「笑点」は、噺家の実力とは関係ないのか。

橋掛かりから長~く歩いて高座に向かうのが、なんとも、間が抜けて変。でも、話自体は、まあ古典をしっかり演じて、よろしかった。見所も落語ファンというのは、むしろ少数で、小遊三もやりにくかろう。今度機会があったら、小遊三の独演会に行ってみるか。

 

後半が、能楽関係。

『男舞』の素囃子。やはりよろしいのだ。囃子方は熟練しているし、緊張感が出る。こういう「男舞」とか、「中ノ舞」とか、囃子方の演奏や、舞は決まっているんだろうか。流儀によって違うのだろうか。単なるテンポとか、シテの役割(武将とか、神とか)での違いなのだろうか。ここは解らない。

 

メインは、狂言『業平餅』。やっと能楽堂らしくなる。

2021年3月に山本会別会で、観たばかり。

今回は、なんと、人間国宝山本東次郎が、アド長柄持ちなのだ。次第で登場するときから、違う。橋掛かりでのハコビが、まったく上下動しないだけではなく、序破急になっていて、違うなあ、と。東次郎さんが、シテでは無くして、アド長柄持ちなどを演じるのは、珍しいのだろう。これだけで、満足的。

シテ業平が、アド餅屋で休憩して、代価などという下賤なモノは持ち合わせぬと、和歌を進呈したり、餅の古来からの由縁を語り教えることで、代価にしようと思うが、アド餅屋は理解できない。ここの、和歌とか、五七調で語られる由縁とか、書き取ろうと思ったけど、書き切れない。

でも、こうした和歌の徳などの語りがあったのだね。

解らないアド餅屋は、娘を都に連れて行ってくれれば、餅の代わりにしても良いと。で、登場したシテ娘は、被きを被ったままで、顔が見えない。スケベな、シテ業平は、妻にもしようと言い寄るが、被きを取って顔を見てびっくり。乙の面。

うたた寝しているアド長柄持ちを起こして、妻にせよと。最初はうれしがったアド長柄持ちも、驚いて言い訳して逃げ出す。シテ業平も逃げ出す。追いかけるアド娘。

そのアド長柄持ちの東次郎さん。揺るぎない演技で。極端に走らず。

 

でも、全体としてのこの企画は、能楽中毒者としては、消化不良。先日の梅若定式能の『紅葉狩』も消化不良。

これで、年内の能楽は終了。仕方ない、年初に予定になかった能楽を観に行こうか。