12月18日(土) 横浜アリーナ
「ACCOUSTIC風味LIVE 総仕上げの夕べ 2021/2022~仕上がりがよろしいようで~」
というライブ。
この手のコンサートは、2019年4月のMISIAコンサート以来。陽水のコンサートには行ったけど、これは懐かしさと松山旅行とセット。
ドリカムは、その頃もコンサートに行きたくてトライしていたが、なんとしてもチケットが取れない。
その内、コロナでコンサート自体が中止になった。
今回、新横浜でのコンサートを発見して、先行予約などを試みたけどアウトで、もうダメかなと諦めていて、ダメ元で先着順一般申込みにアクセスしたら、な~んとなんと、買えてしまったので、勇躍して出かけた。
朝から、ドリカムCDを聞いて、頭の中はドリカムで廻っている。
早めに会場に向かうと、まだそんなに混んできていない。15:30の開場時には、まだあまり来ないのだね。但し、グッズ売り場は長蛇の列。
以前のMISIAの時は、会場時間前から、その辺りが大騒ぎで、入場するだけで大変だったのに比べると、ずいぶん進歩というか、スムーズに進む。
座席は、アリーナ席ではなくて、スタンド席。なんでも、少しずつ売っていったら、少しずつ残って、だからワタクシでも買えたのか。
コンサートの開始は、「何度でも」から。あれれ、じわっと涙が出る。そんなに感動している訳ではないのに。何故だろう。
やはり、知っている曲が出ると気分が乗る。
スタンド席は、そんなにペンライトの嵐ではなく、大人しく座って聞いているお客さんが多い。下のアリーナ席を覗くと、大方が立ち上がっていて、合わせてペンライトを振る。
LIVEというモノを考えた。
能楽も落語も、最初の内は演題や曲に関心が向く。どんな曲かな、どんな噺かな。能楽はその前に、極めて感覚的な、ぞぞっ感だったけど。
でも、最近は成長したのか、落語でも噺家との一体感で、客席と高座の息が合うと、良い話しになる。
能楽も同じで、何度も観ている曲であっても、その日の出来というか、見所との緊張感共有ができると、良い舞台になるのではないか。
この手のコンサートも同じだと思った。どうしても、ペンライトを振る客席がなじめなくて、違和感すら感じ、北朝鮮的なマスゲームっぽくて嫌だったが、考えてみれば、この手のコンサートの場合、立ち上がって、ペンライトを振って、コロナで規制されなければ一緒に歌って、応援して、ということで、客も演奏者も共に息が揃って、上がって、素晴らしい舞台になるのでしょうね。
その一体感という感覚だけではなくして、それが舞台の出来につながるのでしょう。人間だもの。一方的に楽しませるのを拝見するコンサートではないはずでしょう。
その一体感が、時代の共有と思い出から醸成されるモノだったり、あるいは、身体を動かし、ペンライトを振ることなのかもしれない。
チト、今度は、まったく新しい今風の歌は無理だから、サザンとか、オールド爺も行けるコンサートならば、行っても良いか、と。
でも、歳が歳だし、能楽中毒になってしまっているから、時間がないか。
2023年には、ドリカムの大規模コンサートをやるらしい。