12月17日(金) 国立能楽堂
狂言 『成上り』 (和泉流 野村万蔵家)
シテ(太郎冠者)能村晶人 アド(主)炭哲男 小アド(すっぱ)炭光太郎
(休憩)
能 『海人』・変成男子 (金剛流)
シテ(海人 龍王)廣田幸稔 子方(房前大臣)廣田明幸 ワキ(房前の従者)森常好
アイ(浦人)山下浩一郎
笛:松田弘之 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:亀井広忠 太鼓:前川光良 地頭:松野恭憲
面:前シテ「曲見」(大和 作) 後シテ「悪尉」(春若 作)
先月との連続で、◎演出の様々な形、という企画で、同一曲を他流で。
狂言『成上り』は、先月は大蔵流で、今月は和泉流。記録上3回目だが、和泉流の野村萬斎、先月が大蔵流で、今月が、また和泉流。
先月の大蔵流は、なんだか尻切れトンボだったが、今月の和泉流は、小アドすっぱを探して、シテ太郎冠者とアド主が、捕まえろ、捕まえてくだされと、擦り合い。シテ太郎冠者がドジで、上手く捕まえられないし、縄を綯い始める始末。その縄がけでも、間違ってアド主を捕まえてしまって、太刀は取り戻せたが、逃がしてしまう筋立て。
流派によって、重点の置き所が違うのでしょう。大蔵流は、シテ太郎冠者の「成り上がる」という好い加減な言い訳の話し。和泉流は、シテ太郎冠者のドジぶりとアド主との関係性。
2020年10月に野村萬斎のシテ太郎冠者で『成上り』を観たとき、勿論和泉流なのだけど、縄を綯う場面で、実際に舞台上で縄を綯う仕上げをしていて、狂言方は凄いなあ、と思った記憶。ブログにはそこは書いてなかったが。今回は、縄を綯う仕草だけで、実際には綯わなかった。
比較としては、面白い。
能『海人』・変成男子。これは、流派の違いと言うより、小書きの違いではなかったか。前回は観世流銕之丞師で、「懐中之舞」という小書き。今回は金剛流だけど、詞章は、私が気付くほどの違いは見られず、ただ、「変成男子」という小書きの違いくらい。
『海人』(『海士』)自体は、4回目なので、ストーリーは理解している。
まず子方房前大臣の入場で、なかなか姿形は宜しい。13歳で、今回のシテの廣田さんの孫。見栄は良いが、謡い出すと、アレッと。発声がイマイチで。早口だし、聞き取りづらく、藤原氏の御曹司の貫禄は出ない。
後シテは、小書き「変成男子」で、常は女性龍なのに、男性の龍王。大きな、大きな龍の飾りを被っていて、あれで舞うのはホントに大変でしょう。装束も白で統一され威厳に満つる。
これも、母海士の哀れと成仏に重点を置くか、母海士が力強く成仏に至るかという違いかも。
後場の早舞は、激しく、荘厳になる。大変な舞台だなあ。疲れる舞だろうな。
法華経の功徳という点では、一致。その部分の詞章の意味は、前回も今回も解らない。経典の一部なのだろうが。
そうそう、地謡が、黒い一反木綿状の口覆いをつけていたけど、金剛流はそうだっけ
面は、終わった後の紹介を待たずに、観て「曲見」と「悪尉」と見抜く。凄くない、ボクって。
能楽中毒も段々進歩というか、何というか。単なる、高等遊民ではなく。