12月12日(日) 横浜能楽堂
狂言組 (大蔵流 茂山千五郎家)
お話し 茂山千五郎
『二九十八』
シテ(男)茂山宗彦 アド(夢想の女)鈴木実
(休憩)
『居杭』
シテ(算置)茂山千五郎 アド(居杭)茂山鳳仁 アド(何某)松本薫
お話しは、普通。千五郎さんは、少し痩せたかな、締まった感じか。
『二九十八』。初めて。
例によって、妻乞いの清水観音詣で。例によって、西門の階にいると。どうしていつもいつも西門なんだろう。清水に限らず。誰か、研究してください。
妻となる人かどうか、住まいはどこかを、恥ずかしがりながら聞くと、和歌で答える。
聞き取れた範囲で、
「妻もなき 我が身一つの 羽衣に 袖を片敷く 独り寝ぞする」。これで独り身で、妻となってくれそうだとわかる。
「我が宿は 春の日なら 羽衣に 風の当たらぬ 里と訪ねよ」。あってるかどうか解らないが、大まかな住所地がわかるらしい。なんでも、春の日といっても奈良の春日ではなく、都の桂らしい。
で、もっと詳しい家を訪ねる歌を、今度はシテ男が、和歌で。
「春日なる 里と聞かば 角よりして 幾軒目の宿か」。かな、よく聞き取れなかった。
これにアド女が、「にく」とだけ答えて、消えていく。
シテ男は頭をひねって、にく、とは二九一八という、九九のことだろうと。すなわち角から十八軒目。これが曲名となる。
行ってみると、確かに、妻となると答えた女がいる。勿論、衣を被いている。
喜んで、固めの杯、酒盛り。二人とも結構飲む。かずきを取れ、嫌だ、じゃあ、といって強引に取る。期待十分にワクワクしながら見てみるとびっくり。乙の面。これはまったくの狂言のパターン。
なんとか逃げようと色々言い訳をして宿から逃げようとするが、逃がさない。でも正直に、醜い、悪尉と言っていたが、と告げて、逃げ去る。残されたアド女、観世音の罰が当たるぞ、やるまいぞ、やるまいぞ。
まったく、ひどいお話しの狂言だけど、清水の観世音で御宣託を得て見つけた女で、しかも、和歌もできる女御で期待十分が背景にあるから、まあ、良いのか。アド女は、教養人であって、衣を被くほどの地位もありそう。だが、致命的欠陥が、か。
『居杭』、これも初めてだけど、見終わってみると知っている気がする。写真でも見たか、何かの本で読んだことがあるか。
居杭とは、人名で、あまり意味はない。役者は、茂山凰仁(たかまさ)君で、千五郎の三男。2008年生まれ13歳か。子方が主役。
アド何某から可愛がってくれるのに、何かと頭を叩かれるのが迷惑なシテ居杭は、これも清水観音堂にお参りして、頭巾、隠れ頭巾を授かる。これを被ると透明人間になれる。早速これを利用して、アド何某を驚かせる。どっかに行ってしまったと思ったアド何某は、通りすがりのシテ算置を招いて、行方を占って貰う。
算置(さんのき)というのは、算木を用いて占った一種の芸能者のことらしい。狂言の中では、陰陽師と言っていたが、それよりは位も地位も低く、街中の占い師。だから、もともと大した能力は無いはず。しかも、風体が怪しい。
ところが、これがよくあたる。失せ物は生き物だとか、あそこに居るだとか。
しかし、この2人とも、アド居杭が隠れ頭巾を被って、いたぶる。喧嘩までさせる。二人の間に挟まって愉快そうに笑うアド居杭が、可愛い。
最後は、隠れ頭巾が脱げてしまって、バレてしまって、怒られる。
2曲とも、心理劇ということは理解できないけど、純粋に狂言は楽しめるのではないでしょうか。
これも、見巧者になったと言うことで、お許しを。
でも、狂言の台本のようなモノ、お能の謡本のようなモノは無いのだろうか。もっと楽しめるのに。