12月11日(土) 横浜能楽堂
お話し 中村雅之
狂言 『節分』 (大蔵流 山本東次郎家)
シテ(鬼)山本則秀 アド(女)山本凜太郎
笛:竹市学 小鼓:飯田清一 大鼓:原岡一之
(休憩)
能 『紅葉狩』 (観世流 銕仙会)
シテ(女 鬼)谷本健吾 ツレ(侍女)川口晃平、安藤貴康、松山隆之
ワキ(平維茂)殿田謙吉 ワキヅレ(太刀持)則久英志 ワキヅレ(背子)大日方寛、野口能弘
アイ(供女)山本則孝 アイ(末社ノ神)山本則重
笛:竹市学 小鼓:飯田清一 大鼓:原岡一之 太鼓:林雄一郎
面:紹介はあったが、後で写真撮ろうと思って、忘れた。
「眠くならずに楽しめる能の名曲」という横浜能楽堂普及公演で、略してワレは「不眠能」と称す。そして同名の本を出している横浜能楽堂芸術監督が中村雅之さん。しかし、彼のお話は、毎度毎度眠くなる。今回も、寝た。
狂言『節分』は2度目。初回は2020年2月東次郎家伝の十一番目。その時は、シテ鬼が山本凜太郎、アド女が山本泰太郎だった。
蓬莱から日本に来たシテ鬼が、一人でいる女(夫は留守)に懸想して、ストーカー的に言い寄るだけではなくして、動作からすると抱きしめたりしてくる。強制わいせつか。アド女は、追い払い、打ち払い、腹立ちや、腹立ちや、なのだが、シテ鬼はしつこい。思いついたアド女は、隠れ蓑や隠れ傘等の宝をくれれば、なびく様を示し、喜んだシテ鬼は、うかつにも受け入れてくれたと誤解して、宝を渡して、くつろぐ。そこに、アド女が、鬼は外へ、と豆をまき、最終的に追っ払うというモノ。
女は怖いという寓話か、スケベはダメよ、か。行動の同意はあったから、強制性交罪にはならぬが、真意は不同意。こういうの、スケベな男には困るのですね。
凜太郎さんが、立派にアド女を演じた。シテ鬼の則秀さんは、面をかけての大声で、大変でした。
能『紅葉狩』は2度目。前回は2020年10月、シテ紀彰師で、鬼揃えの小書き付き。今回は、小書き無し。
『紅葉狩』は、最初の頃に仕舞を習ったし、謡いも全部習ったので、詞章はほぼ記憶にある。一緒に謡いたくなるほど。地頭は銕之丞先生で、まったく不安はない。若干、観世と梅若の節付けの違いはあるモノの、囃子が付くからかどうかもわからないほど。ちゃんと記憶しているのですね。
小書きがないので、仲入前に、シテツレの侍女たちは下がってしまい、前シテは作り物の中に入って、お着替えと面も付け替え。これが大変なのですね。あの狭い区間で、物着しなければならぬ。作り物が動いてしまって、何やら大事をしているのだが、仕方ないのです。これを避けるために、鬼揃えの小書きになると、シテも幕から下がって、鬼の扮装に着替える。同時に、下がった前シテツレも鬼の扮装に着替えて、一緒に後場で鬼になって登場することになる。
仲入の、アイ狂言、末社ノ神の語りは、良くわかった。山本則重さん。そこで、平維茂は、騙されているよ、油断するな、と太刀を渡す。それが、八幡大菩薩の命令によって、末社ノ神がでてくると言うことが語られて、わかる。
ああ、だからだ、後場のキリの地謡、「南無や八幡大菩薩と。心に念じ。」という詞章が出てくるのは。謡の練習ではアイ狂言語りは出て来ないので、八幡大菩薩との繋がりが見えないのでした。八幡大菩薩の、末社ノ神を通じてのお達しによって、平維茂は目を覚まし、太刀を渡されて、鬼と見抜いて闘い、勝利する、というストーリーなんだ。
これは、アイ狂言の重要性が、再認識される。アイ狂言語りがあって初めて、物語の詳細が見えてくる。
もうちょっと言うと、幕うち廻し屏風を立てて紅葉狩りをしている上﨟たちを見つけ、平維茂は、「かたがた、乗り打ち叶まじ」として、「馬より下りて沓を脱ぎ」で、太刀弓矢の武装を解いてしまい、ワキヅレ従者に渡してしまっていたのです。
後シテ鬼と、ワキ平維茂との戦いは、一対一で、なかなか激しい。鬼の杖と維茂の太刀。ぶつかりそうだけど、ぶつからない。息の合わせ方が難しいと思う。鬼揃えの小書き付きの戦いは、どうだったか。確か、後シテは塚の前に座ってあまり動かなかった記憶。シテツレの鬼と、ワキツレ従者の戦いだったか。そんなに激しい戦闘シーンとの記憶ではない。
実は、12月19日(日)に、梅若会定式公演で、『紅葉狩』・鬼揃えを観る予定なので、更に、鑑賞してきます。
高等遊民・能楽中毒者、ここまでの経験で、ここまで鑑賞能力が高まったか。お能の見巧者に近づけたか。何だか、チトうれしい。