11月14日(日) 横浜能楽堂

狂言組 (大蔵流 山本東次郎家)

『鶏聟』

  シテ(聟)山本凜太郎 アド(舅)山本東次郎 アド(太郎冠者)若松隆 小アド(教え手)山本則重

  地謡:山本則俊、他

 

(休憩)

『六地蔵』

  シテ(すっぱ甲)山本則孝 アド(田舎者)山本則秀 アド(すっぱ乙)山本泰太郎 アド(すっぱ丙)山本則重

お話し 山本東次郎

 小舞 『善知鳥』?

 

『鶏聟』は初めて。

シテ聟は、婿入りのしようについて、良くわからないので先輩に聞くが、聞き方が無礼だったので、好い加減な婿入り様を教えられて、鶏の鳴いて、雄叫びを上げ、蹴り上げる様子をさせられる。鶏のような、変わった烏帽子もつけろと。それでアド舅宅に出かけるのだが、アド舅としては、これはいかなこと、と思う訳だけど、シテ聟はしっかりした男だから、大方誰かに騙されたのであろう、恥をかかせてはいけない、というので、アド舅も鶏真似をする。しかし、付き合いきれないというので、最後はアド舅は下がってしまうのだけど、シテ聟は、よくできた、と満足する。

実は、後の東次郎先生の解説で初めてわかるのだけど、シテ聟は、屋敷前の蹴鞠をする庭の片隅から入ってきて、それをウケてアド舅も座敷から庭に降りて、闘鶏ごっこのようなことをする。そのなかで、シテ聟がアド舅の頭を蹴って、怒ったアド舅は逃げてしまう。しかし、シテ聟はそれに気付かず、雄叫びを上げる、というものらしい。

どうも、凜太郎君が、最後に、ホーッと叫ぶ意味が解らなかった。

狂言は、能と違って、詞章本のようなモノがないのでしょうか、そこまで理解はできません。そういう細かな解説本があれば、もっともっと楽しめるのに。

凜太郎君、いや、凜太郎さん、成長しましたね。立派でした。

 

『六地蔵』は何回も、だけど、これも後の東次郎さんの解説によって初めてわかるのだけど、すっぱ3人は僧崩れだと。そういえばそういう身なりだったけど、良くわからなかった。

また、六地蔵の名前や由来について、シテすっぱ甲が、詳しく語る。これも元は僧だったからよく知っているという設定らしい。でも、この部分の語りは、ほとんど聞き取れず、長々と語るけど、ちょっと眠くなる。これもお家によって様々らしいが。

3人のすっぱが、2箇所を駆け巡って、様々な化ケポーズをする。ここは笑いどころ。そのポーズは、勿論アドリブではなく、キチンとお稽古してきていて、演出があるのだけど、時代や考えなどによって、様々にして宜しいらしい。そこまでの細かな伝統・伝承はない。それを決めるのは、東次郎家だから東次郎さん、ということでしょう。

役者も楽しんでやれれば、見所も楽しいということですね。

 

東次郎さんのお話は、亡くなった瀬戸内寂聴さんとのこと。寂聴さんが作るお能を、東次郎さんと梅若六郎(現、実)さんが、お能に仕上げる。台本を大幅カットした話しや、エロチックな場面の描きようが、寂聴ワールドとは違っていたとか。

この話し、東次郎さんのどこかの著書にも書いてあったかな。

最近いつも仕上げの小舞をしてくれる。相変わらず素晴らしい。事前に相談してきているかどうかはわからないけど、地謡もしっかりとできる。則俊さんのお声は、大きくて、聞きやすい。

 

最近思うこと。

これまでのブログを読み返してみると、なんとまあ、知識がないものだから、好い加減な感想などを書いていたものか。

能にしても、狂言にしても。

まあ、根本はワタクシの日記だし、素人の成長史と捉えれば宜しいのだけど、公開しているから、後悔もある。

1つの記事だけ、非公開にしているモノもある。さる方からご注意を受けて。

これから、どういう観点で書けば良いか、公開すべきかどうか、悩み多い状態。

大体、鑑賞の翌日に書いているのだけど、書くことによって自分の感想も練られるし、2度楽しめる。記憶に止めることもできる。物忘れがひどくなってきているから、尚更、書くことによって、記憶の定着になる。もとの職業柄、書くことに苦はない。

勿論、記録的意味は大きい。かつて見たときのブログを読み返してから、能楽を鑑賞すると、一層面白くなるし。楽しめるし。

さて、どうしたものか。