10月30日(土) 国立能楽堂

能 『頼政』 (観世流 銕仙会)

  シテ(老人 源頼政の霊)浅井文義 ワキ(旅僧)飯冨雅介 アイ(里人)井上松次郎

  笛:森田保美 小鼓:曽和正博 大鼓:守家由訓 地頭:観世銕之丞

  面:前シテ「朝倉尉」(栄満 作) 後シテ「頼政」(近江 作)

狂言 『飛越』 (和泉流 狂言共同社)

  シテ(新発意)佐藤友彦 アド(何某)今枝郁雄

(休憩)

一調 『遊行柳』

  謡:山本順之(観世流) 太鼓:三島元太郎

能 『三井寺』 (金春流 宗家)

  シテ(千満の母)高橋忍 子方(千満)中村優人 ワキ(圓城寺住職)宝生欣哉

  アイ(清水門前ノ者)奥津健太郎 アイ(能力)野口隆行

  笛:一噌幸弘 小鼓:観世新九郎 大鼓:柿原光博 地頭:金春安明

  面:シテ「曲見」

 

今月は、国立能楽堂5回目なのだ。横浜能楽堂もあったから、1ヶ月で能7番鑑賞。その内、初見が今回の2番を含めて4番。なかなか充実した10月でありました。

 

能『頼政』。初めて。ご存じ源三位頼政の、以仁王とのクーデター事件後の、宇治川の合戦と平等院前庭での自害。

平家物語を本説とするが、クーデター失敗と宇治川の合戦は史実であるらしいが、平等院での自害は後日の物語らしい。平家物語自体が、『物語』であって、史書ではない。『頼政』の詞章中でも空間的矛盾があるし。

まあ、それでも様々に有名な源三位頼政の話なので、ストーリーはわかるし、退屈しない。文武両道の頼政、その死、物語として、ウケるのです。

このお能は、舞が無い。前場もワキ旅僧と前シテのカタリだし、後場も後シテが戦の様子を、床几に座ったままで仕方カタリ。このとき、後シテは頼政頭巾と言われる特殊かぶり物と、特殊面の「頼政」。座ったままのカタリで、戦の様子をカタルのはなかなか大変だと思う。

シテの浅井文義さんは、1949年生まれ72歳か、しっかりした声と動き。

 

狂言『飛越』も初めて。アド何某がお茶の会に招かれるのだが、作法を知らぬので、近くの寺の新発意が作法を知るというので一緒に行って貰う。ところが、何某は途中の川を軽々と飛び越えられるが、シテ新発意は飛び越えられない。では一緒に手を取り合っていこうとするが、シテ新発意だけ、川に落ちてしまう。大笑いするアド何某。怒るシテ新発意と相撲を取るが、これも新発意が負けてしまって、何某は去って行く。

ストーリーは変だよね。頼んで茶会に同道して貰うのが、川に落ちたり、相撲に負ける新発意を笑い飛ばして、結局同道しないのだ。

何が心理劇なのだろうか。

一つ面白かったこと。茶道で茶釜に湯が煮えてくる音について、まず「蚯泣」、きゅうぎゅうと読む。ミミズの鳴き声。ジジジ、かな。次いで「車声」。ガラガラ、かな。更に「遠浪」えんろう。ゴロンゴロン、かな。最後が「無音」ムインと読む。蓋を取ると音がしなくなるのだと。

これは新発意が道中に自慢げに語る。これを聞いて何某は、ああ面倒くさいなあ、そんなこと、偉そうにと思ったのかもしれない。その復讐と思えば、心理劇か。とかく茶道とは面倒なモノだ、知っているからと言って威張るほどのもんじゃない、ということか。

 

一調『遊行柳』、なんでこれがこのプログラムに入るかわからないけど、シテ謡の山本順之さんは、83歳。年齢なりのお声だけど、良かったです。人間国宝太鼓方の三島元太郎は、言わずもがな。

 

能『三井寺』、初めてだけど、興味深いお能でした。子別れと再会のお話し。『隅田川』と違って、生き逢えて、良かった、というお話し。まず清水寺に前シテがお参りして、別れ別れになった子方千満に逢いたいと。このとき、前シテは数珠を持っていて、お祈りしているのです。

そこで会ったアイ門前ノ者が夢合わせ占いをして、三井寺に行けと。

ここで中入り。

三井寺では、8月15日の月見の最中。そこに子方千満も居る。物狂いになった後シテが、今度は笹を手にして、鐘をつかせろと要求。断られるが、何やかや古歌や古詩を引用して説得するが、強引に鐘を撞く。そのやりとりの中で、子方が母と気づき、めでたしめでたし、これも鐘の功徳、というわけ。

鐘の音が何ヶ所か出てきて、まず、アイ能力が三井寺の鐘は三大鐘だといい、撞く。その音。じゃ~ん、も~ん、も~ん、も~ん。そういえば、狂言『鐘の音』でも、鎌倉の5箇所の鐘の音を言葉で表したなあ。狂言方の能力か。

<鐘の段>という聞かせどころで、初夜の鐘(午後8時頃か)は諸行無常と響く、後夜の鐘(これは午前4時頃か)は是生滅法と響く、じん朝(じんじょう)の鐘(夜明けの鐘か)生滅滅已と響く、入相の鐘(夕暮れの鐘か)は寂滅為楽と響く。とかや。

仏教ですね。これは調べたのですよ。詞章を聞いていても解らない。勉強になる。

この後の、シテのクセ舞も素晴らしい。これは、舞ってみたいと思う。

初見が不思議なくらいの名曲でした。

金春流も悪くはないのです。あの地謡一反木綿の口覆いは、合わないけど、仕方なし。

 

ここまで、高等遊民、117曲を鑑賞している。番数で言うと196番。まだまだ観ていないお能の曲があるのだろう。