10月17日(日) 横浜能楽堂
狂言 『二千石』 (大藏流 善竹家)
シテ(主)善竹彌五郎 アド(太郎冠者)善竹隆司
(休憩)
能 『井筒』・物着 (宝生流 宗家)
シテ(里女 紀有常の娘)宝生和英 ワキ(旅僧)森常好
笛:竹市学 小鼓:成田達志 大鼓:國川純 地頭:武田孝史
面:節木増(作者不明)
ひどく寒くなって。雨も降って。
狂言『二千石』、2回目かな。無断で旅に出たアド太郎冠者を、成敗する威勢のシテ主。左手に太刀を構えて出てくる。京に行ったと聞いて、様子を聞きたくて、許すが、京で習ってきたという謡を謡い出すと、それは当家の重代のモノだと怒り出すが、アド太郎冠者は、先代を思い出して泣く。
ストーリーからすると、まだ未熟なシテ主が、先代からの部下のアド太郎冠者とうまく行かなくて、先代を懐かしむというモノ。それからすると、シテ主はむしろ若者が演じ、アド太郎冠者はベテランが演じた方が良いのではないか。
今回は、その逆で、またシテの彌五郎さんは、80歳を超えたご高齢で、声が聞き取りづらい。ストーリーを知っていればわかるけど、そうでないと理解が難しい。
眠くなってしまった。配役ミスじゃないのかな。
能『井筒』、3回目。1回目は2019年10月観世流、2回目は2020年2月金剛流で、今回は宝生流。しかも御宗家で。
さすがに御宗家で、面も、装束も美しい。まだ若い宗家で、舞も謡も若々しい。だといって、へたどころか、十分上手(失礼)ではないか。
伊勢物語を本説とする。
在原業平と、長年付き合う女の成長と恋の物語り。幼い頃、井戸の側で遊んでいた時代、成人して恋の歌のやりとりで結ばれる、そして、業平が死んでしまった後の思い出。
業平が「筒井筒 井筒にかけし まろが丈 生いにけらしな 妹見ざる間に」。成長していい女になったねえ、と。
返歌「比べ来し 振り分け髪も 肩過ぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき」。貴方以外に妻の髪型はしないよ、とOKサイン。
おお、色っぽい。
今回は、物着の小書き付きで、中入りせず、アイも登場せず。前場は赤い装束。後場は、紫の長絹に初冠。
ゆったりとして優雅な序ノ舞が、段々と昂揚してきて、井戸を覗き込むときの、急。ドキドキ。ピタッと終わる潔さ。
世阿弥作で、「上花」と持参したらしい。
先日亡くなった人間国宝野村四郎幻雪師の最後の舞台。この井筒の仕舞だった。
最後のキリ。ここの舞を見ながら、四郎師の仕舞を思い出す。重なった。素晴らしい。