10月10日(日) 横浜能楽堂

狂言組 (和泉流 野村又三郎家)

お話し 松田高義

『三人夫』

  シテ(美濃国の百姓)奥津健太郎 アド(淡路国の百姓)野村信朗

  アド(尾張国の百姓)奥津健一郎 アド(奏者)野村又三郎

(休憩)

『茶壺』

  シテ(すっぱ)野村又三郎 アド(中国の者)野口隆行 アド(目代)松田高義

 

松田さんのお話は面白かった。歴史とそれに伴う地理がお好きなようで、狂言に絡んだそういうお話し。例えば、太郎冠者を呼び出した主人が、「念ノウ早かった」というのは、中世は、そんなに上下関係が厳しくなくて主に孝を尽くすという観念があまりなかった、なので、呼び出されてもすぐに来ることはあまり期待出来ないから、意外に早く来たのね、と誉めるとか。

また、『茶壺』の解説は彼が書いたのか、茶を買いに来るモノの中国地方とはどこどこ辺りだとか、そこから舟に乗って今の兵庫辺りに来て、そこから北上して京都の栂尾に来る。上陸地から80キロほどなので、当時の一日に歩行行程40キロからして、二日間というのは納得。買って、帰りに寄る昆陽野(こやの)は、栂尾からしばらく歩いた遊女宿で、そこで、したたか酒を飲んで、遊んで、往来で寝てしまったのだ、とか。こういう解説を聞くと、全体像が見えて面白い。

 

『三人夫』、初めての曲。

淡路国の百姓、尾張国の百姓、美濃国の百姓の順で、登場。街道で会って、これから年貢を納めに一緒に行く。

奏者から、参加国の名前を折り込んだ当座(即興の歌)を所望され、「淡路より種蒔き初(そ)めて三つ葉さし 花咲き終わり(尾張) 実の(美濃)なるは稲」と、3人が上の句を淡路の百姓、下の句を尾張国、美濃国の百姓と順に読んで、よく出来ました。

今度は、それぞれの名前を聞かれて、面白い名なので、それを折り込んで歌を作れと。この名前がでたらめとしか思えないのだけど、結局、「淡路より多くの宝つうじ(通じ)舟 まかじがというても 是へ参ろう」。

訳わからん歌だ。

でも、これも大ウケで、酒を振る舞われて、したたか飲んで、勝手に帰れ、舞をしながら下れ、と言われて、3人舞いつつ下がっていく。

これは、人情劇ではないよな。演者も、セリフを狂言風に一生懸命喋って、練習して、合わせた動きはしているけど、どうも学芸会。野村又三郎だけは、こなれていたけど。

 

『茶壺』。3回目と記録上。

まあ、そういうお話しね、というだけ。最後、アド目代が茶壺を取って逃げてしまう辺りが、そうだっけ、というだけで、面白くない。

 

京浜東北線の変電所火災の影響で、客足が伸びないことが理由かもしれないけど、見所は半分以下。

狂言でも、お家で、力がまるで違う。

そういうことを、また、感じさせられた高等遊民。

来月の狂言堂は、山本東次郎家なので、よろしいはずと期待。