9月17日(金) 国立能楽堂
狂言 『合柿』 (和泉流 野村万作の会)
シテ(柿売)石田幸雄 アド(参詣人)野村萬斎 立衆(参詣人)深田博治・他5名
(休憩)
能 『絃上』・クツロギ・舞返 (宝生流)
シテ(老翁 村上天皇)朝倉俊樹 ツレ(藤原師長)金井雄資 ツレ(姥)大友順 ツレ(龍神)金森良充
ワキ(師長の従者)福王和幸 アイ(龍王の眷属)中村修一
笛:一噌幸弘 小鼓:後藤嘉津幸 大鼓:原岡一之 太鼓:桜井均 地頭:野月聡
面:前シテ・朝倉尉 ツレ姥・姥 後シテ・中将 ツレ龍神・黒髭
今回は、狂言、能ともに、初回。それだけに楽しみ。
狂言『合柿』。シテ柿売りが籠に一杯柿を詰めて担いで登場。太郎冠者風の衣装。明神のなんとかいう祭礼の日なので、柿を売ろうということ。合柿とは、大和柿や御所柿などを掛け合わせた柿で、風味良い柿だと。そこに通りかかった参詣終わりに市に出てきた参詣人7人がずらりと並ぶ。全員が長袴に紋付き裃という正装。
風味良いと言って売るけど、試してみると渋い。渋いはずが無い、なぶっているのだろうとシテ柿売り。では、自分で試せとアド参詣人。試すと確かに渋いが、なんとかごまかそうとする。渋くないならば口笛を吹けとアド参詣人ら。どうして口笛となるか、不明だけど。
どうしても口笛が吹けないシテ柿売り。揃って打擲した上、笑い飛ばして帰って行く。
残された、シテ柿売り。悔しいけど、仕方が無い。ここで、小歌を謡うが、意味が聞き取れない。ぶちまけられた柿を拾って、籠に入れて、肩に担いで帰って行く。
渋さをごまかす仕草や、口笛を吹けない様は面白いけど、さて、心理劇は何か。まず身分の違いかな。どうしても柿売りは庶民で、参詣人は高い身分。それが揃って、柿売りをいたぶる。渋いから仕方が無いのだけど、致しようがあるのではないか。悔しいけど、仕方が無い柿売り。
身分の高い、多分若者連中が、徒党を組んで、庶民の柿売りを虐める。それは行き過ぎだろう、と。ホントは風味良い柿なのに、いたぶったらあまりにも乱暴狼藉。ホントに渋かった弱みもあるけど、それでもねえ。若いモンたちが、礼節も持たないと。
能『絃上』(けんじょう)。観世流では『玄象』(げんじょう)。
絃上とは、唐から渡来した琵琶の名器、絃上、青山、獅子丸の一。青山は行方不明、獅子丸は海中深くに。この琵琶の名前を冠したお能なのです。珍しい。
ツレ師長、ワキその従者、ワキヅレ従者たちが登場する。次第。見慣れたのは、ワキの登場だけど、ここでは、ツレとワキらが登場する。そして、ワキの定位置にツレが立ち、ワキがその向かい、ワキヅレ2名。いつもと違うから、アレッという感じ。
ツレの登場が多いのです。最初に太政大臣藤原師長がツレで。
自らが琵琶の第1人者と自覚し、唐に渡ろうとして、まず須磨の裏に到着する。ここで、塩屋に一夜の宿を頼もうと休憩。ワキ座にツレ師長が座る。
前シテ老翁が、ツレ姥と2人、ヨロヨロと汐桶を背負って登場。歳を取って辛そう。景色は良さそう。
なんとか、塩屋に泊めて貰うことが出来て、ワキがツレ師長を、琵琶の名手と紹介して、前シテ老夫婦は一曲所望する。そこで、作り物の琵琶が登場。琵琶と言っても、平家琵琶のようなお腹が出たモノではなくして、薄い琴のような。4弦が張ってある。
弾き始めると小雨が降ってくる。つと、雨音が気になって中断。意味が解って前シテ老翁とツレ姥は、苫を板屋根に拭く。それまでの琵琶は黄鐘調、雨音は盤渉調で、合わないから、苫を被せて屋根からの音も黄鐘調に替えようというのでした。
盤渉も、黄鐘も、わからない身としては、何やらで、しかも、実際に演奏する訳では無いから、不明です。
感動したツレ師長は、琵琶を渡して前シテに一曲を奏でよと。ぱらりからり。名人なのだ。恥じ入ってツレ師長は、これは唐に渡ることは出来ない、帰ろうとする。驚いて引き留める老翁。どうして止めるかと聞くと、今は何をか包むべきと、実は村上帝と梨壺女御だよと、唐入りを止めようと出てきたのだと、幕入り。
仲入は「、しかみ」かな、面を付けたアイ。龍神の眷属。いきさつを語って、龍神が持っている名器獅子丸が出るぞ、と。
アイが引っ込んだ後、出端の演奏だがここで後見が4人に耳打ち。時間調整だろうか。準備が出来たの出来ないのと。
で、後シテ村上天皇が堂々と登場。高貴な衣装。天皇の冠り物。
下界(海中)の龍神に獅子丸をもってこいと命ずると、ツレ龍神が勇ましく登場。琵琶を持ってきている。それをツレ師長に渡して、去って行く。この龍神、格好いいし、強いのです。登場時間はわずか。
この後は、長く続く後シテ村上天皇幽霊の舞。何分舞っていただろうか。小書きによって、橋掛かりも使う舞だと言うが、15分か20分か。激しい舞では無いが、天皇の優雅な舞が繰り返し、繰り返し続く。美しい。盤渉らしいけど、わからない。
そして、ツレとワキの退場後、後シテが留め拍を踏んで、ピタッとお仕舞い。序破急の急で。
これが素晴らしい余韻。
見所も、シーンとしたままにいて欲しいのに、立ち上がりはしないけど、帰り支度のカバンの音。ジッパーを閉める音。気になるなあ。
余韻の残る、素晴らしい能でした。拍手はしなかった。不要でしょ。
2018年9月から、本格的にお能を見始めた。丸3年以上。理解度も進んで、楽しさも一層。お稽古も良かったし。
高等遊民、やはり、お能が中心かな、今のところ。