2021年6月30日初版発行 河出書房新社発行

 

6月に著書を頂き、メモによると、7月4日に読み終わっている。

直ちに感想を書くことが出来ず、再度、今度はゆっくりと、反芻しつつ読み進めた。

2回目の読了は、9月14日。なんと、2ヶ月以上2回目の読書に時間を要した。

 

これまでに、多数の書評が公開されている。まだ、新聞の書評欄には出ていないと思うが。

 

もともと私は、小説は、大学時代以来ほとんど読んでいない。法学の道に進んでからは、とにもかくにも論理を基準とする著作や、実務に役だつ法解釈本、判例解説書ばかり呼んでいた。

そうした本以外は、まったくの、暇つぶしというかリラックスのための、グルメ本、旅の本やエッセーなどは読み続け、活字中毒者と自認していた。

取り分け椎名誠の文庫本は、あはは、と読んで、本棚にしまって、次ぎに重ならないように注意しつつ本屋で吟味して選んで、また、あははと読んで笑って、本棚に順にしまおうとするときに、あれれ、これ読んだ本だ、と気付く有様。

 

さてさて、純文学と言える小説を、キチンと読んだのは、いつ以来だろうか。

そんな状態のワタクシに、書評などは出来っこないし、感想も書きにくいモノがあった。しかし、第1回読みから、これはナニゴトか書かねばならぬという思いもあった。

そして、感想めいたことを記すには、直感に頼るしかない、本の筋書きや訴えたいことの紹介ではない、直感的な感想めいたモノを軸としよう。

 

それは、藤沢周さんも、ワタクシも、能が好きで、謡・仕舞の稽古に夢中になっているということ。玄人のそれではなくして、あくまでも素人の、お稽古途上のモノ。

 

まず、序章の2頁(単行本ではp8)、まさしく始まってすぐに、若狭小浜を発って、佐渡に向かう舟の中。

「ここに消えかしこに結ぶ、水の泡の・・・・・。」

もうここで、ピンとくるのです。能『土蜘』の前場、ツレ頼光が病床にあって述懐する場面。ヨワ吟、拍子不合だ。紀彩の会を立ち上げる前、横浜能楽堂主催の初めての謡・仕舞教室で、一緒に、紀彰先生から習った箇所。まだまだホンの謡練習スタートの時点。

この当時は、一回のお稽古で、ほんの少ししか進行しなかった。当たり前。謡本なるモノを見るのは初めてのことだったから。ヨワ吟・ツヨ吟もわからない、拍子合・不合もわからない、符点の意味もまったく解らない、とにかく、紀彰先生の謡うのを、後を付いていくのが精一杯。

そう、まだまだ、不安ばかりが先行しているとき。面白そうだからと始めたが、あれま、出来るのかしらと後悔し始めるヒトも出てくる。

このときの世阿弥の心境もかくやあらん。頼光も病に伏して、もう先は長くはないと、述懐する。

まさしく、この物語の出だしに相応しい。

 

謡では、『竹生島』のある詞章箇所が重要なポイントになっている。

『竹生島』は、初めての謡仕舞教室から、希望者だけが残って、「紀彩の会」を結成し、初めて習った曲。紀彩の会とは、藤沢周さんが命名した会の名前。

P38、「月澄みわたるー、うーみづーらーにー」「なみかぜしきりに鳴動おしーてー」「下界のー、龍神、現れたーあありー」

後場で、天女ノ舞が終わった後、さあ、いよいよ龍神の登場だ、ってシーンの謡。ツヨ吟、拍子合。

ここを読むとき、私は、つい節付けして、謡うように読む。

小説の中では、世阿弥が即興で作曲して、たつ丸に教えることになっている。

たつ丸は、たつ、すなわち龍で、龍神に仮託した名前なのですね。

 

同じ詞章部分は、後にも続けて登場する。

P38、田植えのシーン。

「・・・つき、すみわたるー、うーみづーらに」「なみかぜしきりに、めいどうしてー」「げかいのー、りーうじーん、あらわれたーああーりー・・・。」と謡うたつ丸。ここでは、すべて、ひらがなで表記される。「龍神」は、「りーうじん」なのです。「りうじん」ではない。しかし、まだ、完璧ではない。

 

3回目はp99、たつ丸が、世阿弥の元に来てから二晩め、少し元気になったたつ丸。

「げかいのーりーうじん」「あーらーわーれーたーあありーい」と世阿弥の元を訪ねてくる。

たつ丸の出現は、龍神の出現。

 

4回目は、p246。雨乞いの能が成功裏に終わって、佐渡の夏が過ぎようとしている。夕食後。

「げーかーいのー、りゅうじんー」とたつ丸が謡うと、世阿弥が「たつ丸。下界のー、りーうじーん、だ」と注意する。「おれの曲なんだすけー」と反論する。

段々、曲と謡を我が物としてくる。

 

そして最後5回目はp341。『黒木』が済んで、『西行桜』に移る前。世阿弥が、帰洛を許された後。良かったとたつ丸。

そこで「げかいのー、りーうじん、あらわれたーああーりー・・・」「なつかしいっちゃ、おれの歌ら」

この節付けのひらがな表記が一番正確かな。「た」でマワシて、「あー」と伸ばして、「りー」とカドなしマワシ。

いよいよ、完成したか。たつ丸は、謡だけではなくして、小鼓も習って、能役者の、素人として、成長したのだ。すでに、玄人とも呼べる水準。

 

仕舞では、世阿弥が佐渡に上陸して、砂浜で基本型を舞うシーンが印象的。

p55からp56。右膝を砂地について、扇を右手にして、体のいずこにも力を入れず、ゆっくり天空から吊られるように立ち上がる。構え。ただ、佇むこと。ただ立つこと。立っている、立っている、立っている・・・。左足が自ずから前に出始めて、ハコビを進め、右手の扇を何ものかに吊られるごとく上げていく。サシコミ。ヒラキ。サシ。そのまま右足からのハコビ・・。誰かが合わせている気配で、右足からのハコビ、ヒラキ、左右。

これは、素人が仕舞をお稽古しているときの、緊張感が伝わってくる。そうそう、こういう風に指導されいるのです。

型の基本と、じっと立っていること。

 

小説の中では、能の表現も出てくる。

まずは雨乞立願能。玄人である世阿弥が舞うが、『翁』と『三番叟』中の鈴ノ段が想定される。目に浮かぶ。

藤沢周さんの創作である『黒木』。玄人の六左衛門の笛と、素人のたつ丸の小鼓、村人の囃子、了隠の地謡。

『西行桜』が最後に。これは、実際に世阿弥が作曲した曲で、申楽談儀の中でも、「後の世にも、かような能を書くものはあるまい」と書かれた自信曲。今度は、素人の了隠がワキ西行を勤める。地頭も、素人の峯舟住職。

玄人は、世阿弥と六左衛門だけ。段々と素人の参加が増えてきて、皆、熱心に練習し、熱中し、上達していく。

これぞ、謡仕舞のお稽古の成果。

良くわかる。同感する。

 

結論。藤沢周さんは、能、謡、仕舞がホントにお好きなんですねえ。

本書の最後、主要参考文献の欄の、最後に、※また現在、謡・仕舞をシテ方観世流・梅若紀彰師(重要無形文化財総合保持者)に

師事。

と書いてある。同好のものとしては、実は、このお稽古が一番参考になったのではないかと、期待を込めて、推察しています。