9月11日(土) 国立能楽堂

解説 「牛若の盗賊退治」 表きよし

狂言 『名取川』 (大蔵流 山本東次郎家)

  シテ(旅僧)山本則重 アド(名取ノ何某)山本則孝

(休憩)

能 『熊坂』・替之型 (観世流 梅若家)

  シテ(僧 熊坂長範幽霊)梅若紀彰 ワキ(旅僧)安田登 アイ(所の者)山本則秀

  笛:小野寺竜一 小鼓:田邊恭資 大鼓:亀井実 太鼓:林雄一郎 地頭:馬野正基

  表:前・直面 後・熊坂

 

解説と能楽案内の表さんは、つまらない。どうしてこう大学教授はつまらないのか。考えるに、自分で、楽しんで、能楽を稽古したことが無いのだ。大学の中で、書籍に囲まれて研究し、勿論能楽師に話を聞いたりはする、能楽も沢山鑑賞する、しかし、自分で楽しんでいないのだと思う。

その点、馬場あき子さんは素晴らしい。和歌と能楽の話しをするときは、自分が楽しくて仕方ないから、あれもこれもと話したい。聞いている方も、目が輝いてくる。

普及公演だから、企画上こういう解説やお話しが必要なのだろうけど、人選を考えた方がよろしい。

 

狂言『名取川』、直近では2021年5月、横浜狂言堂で。シテ東次郎。

とにかく、心理劇として、流れ去り行くものへの執着だということだったので、今回もその気で見ていたけど、ふむふむ、そうね、そうかなという感じ。

ほとんど、シテ旅僧の一人語り劇。則重さん大変。

でも、あのシテ旅僧。ちょっと気がおかしいよね。戒壇で受戒して、稚児に名前を貰って有頂天、帰国中に川で名前を流す、拾おうとして、所の者を痛めつける、思い出して、良かったねと帰って行く。川で名前を流すという設定がわからん。袖に墨で書いて貰ったモノ。それを川に入って掬おうとする、って、変でしょ。僧が殺生をするのを咎めると、場所や名前を聞いて、名取川、お前が取ったんだろうと決めつけるのも、変でしょ。ホントにアド何某は、迷惑。

心理劇は、今回は、理解できない。まだ、見巧者になっていないか。変な奴、とだけ。

 

能『熊坂』。2度目で、前回は2020年10月鎌倉能舞台で。あそこは狭いから、今回は、国立なので、替之型という橋掛かりも使った大きな動き。

勿論お目当ては、シテの梅若紀彰師。紀彰師がシテの場合は、お頼みして、正面席の良い席を確保する。国立能楽堂は、いつも安い中正面だからね。

ワキ旅僧の自己紹介、道行きの後に、前シテ僧が、のうのう、と呼びかける。幕の外からだ。紀彰先生のお声が聞こえると、うっとり。

直面だ。紀彰師の直面シテは初めてかもしれない。まあ、仕舞とかで見てはいるけど。

前場の前シテの長い語りの箇所、紀彰師が、一瞬絶句。しかし、顔つきはまったく変わらない。後見も動かない。ちょっと長い間を置いて、再スタート。しかし、これでは話しが続かない。このとき、国立能楽堂の字幕解説がピタッと暗くなり、また始まった部分から再開した。そうか、あの字幕解説は、作動動作は現実に舞台の進行を見ながら、ペイジを替えているんだ。

もともと、梅若謡本を持ち込んで見ていたのだけど、プログラム記載の詞章と異なるところがあった。まったくの推測だけど、前場は観世流の謡本か。梅若本で頭に入っている紀彰師は、つい、間違えたか。地頭の馬野さんは、銕仙会だからね。ちょっと不適合だったのかも。

でも、何事も無かったように進行し、大きな混乱にはならなかったけど、ワタクシ達は、以後、ドキドキで。二つの意味でドキドキで。

後場の、後シテ熊坂長範幽霊の仕方話。長刀を十分に扱って、橋掛かりにも及んで、力強く。

用いた「熊坂」の面は、口をへの字に結んで、口の辺りは空いていないハズ。それであの動き。呼吸困難になりはしないかと、これもドキドキ。長刀を捨てて、取っ組み合いに持ち込む様も、力強いけど、切られて、段々と弱っていく、その落差。地謡もシテの動きも。

最後、死んだと見えて、幕に下がっていく。動から静へ。

いやいや、やはり紀彰師は良いなあ。

確か63歳か。前回見た鎌倉の中森健之介さんは、もっと若くて、身体も大きいのに、息が切れていたし、見た目にも疲労が見えたのに、紀彰師は最後まで堂々と。身体能力が高い。

 

紀彰師シテの能は、数えていないけど、結構見た気がする。今月は、山形能で『土蜘』の予定もある。12月には、梅若定式能で『定家』とか。いずれも、楽しみ。