ちょっと、一般的には、並列的に論ずるのはおかしいかもしれない。小説家と経済財政学者。
たまたま、両人とも私が注目する言論人であり、個人的な関係も無いではないような不思議な関係者で、たまたま、今月に、両人とも書評を公開して、通底するものを感じたので、普段この様な記事はブログには書かないようにしているけど、書く。
オリンピックとコロナ感染拡大のこと。
Ⅰ 藤沢周 「世界」9月号 「目の眩んだ者たちの国家」(2018年刊)について
韓国のセマウル号事件についての書に対して、藤沢周が評論している。図書館で読んだ。
いくつかの印象的な、語句。
国家と政治と人間と言葉(さすが、小説家らしく、言葉を重視する。)
前政権からの「アンダーコントロール」やら「コロナに打ち勝った証」などという言葉は、「思い上がった妄想」もいいところだ。
このコロナ禍の危機は、感染症そのものがもたらしたというよりも、政治が「人間の内面の精神を管理」し始めたことであり、また近代が孕む問題が顕在化したと捉えた方がいい。
時代の重大局面であり、転換点でもある現在。「未来としての過去」を探ることにより、模索すべきモデルが見えてくるのだ。
Ⅱ 金子勝 毎日新聞8月3日号夕刊 「失敗の本質」(1984年刊)について
「失敗の本質ー日本軍の組織論的研究」は日本が太平洋戦争で敗れた原因が何だったかを、防衛大名誉教授ら研究者が、失敗例か分析した著書。
金子勝は、大学の2年先輩で、同じサークルに属していたから、勝手に親近感を持っていたし、その発言内容には共感するところが多かった。大学時代は、非常に有能な人物との評価が高かった。
インタビュー記事であるが、印象的な、語句。
意思決定のプロセスをあいまいにして、誰も責任を取らずに方向転換できない姿は、戦時中の無責任体制そのもの。
管総理は、「やめることは一番簡単なこと、楽なことだ。挑戦するのが政府の役割だ」と言い切った。
世界中から選手が集まるのに、緊急事態宣言で国民には自粛を強いるというダブルスタンダード(二重基準)に皆、うんざり。
ワクチンも、不足は前からわかっていたのに、早くワクチン接種を進めろと自治体や国民の尻を叩く。それは都合の悪い事実は隠し、敗色濃厚になっても国民には連戦連勝していると伝え、鼓舞し続けた戦時中の大本営発表そっくり。
戦争は始まったんだからすぐにはやめられないと、戦局が泥沼化した旧日本軍と同じ。
近代国家の役割は、国民の生命と財産を守ること。その原則を守れなかったのが戦時中。その反省から戦後の日本社会が誕生したのですが、根本が崩れ始めている。
それでも、管総理や政権与党は反省することはしない。過ちを認めもしない。
「改(あらた)むるに憚ることなかれ」
「過ちて改めざるを過ちという」
「小人の過つるや、必ず文(かざ)る」
そして、感染が爆発し、ほとんど医療は崩壊しているが、粛々と自民党総裁選が進みつつある。
何の反省もなく・・
政治家が、取り分けて、安倍前総理の系統は、言葉を使わない。
さて、高等遊民、どうするか。