8月7日(土) 川崎能楽堂

狂言 『昆布売』 (和泉流 野村万作の会)

  シテ(大名)高野和憲 アド(昆布売)竹山悠樹

能 『阿漕』 (喜多流)

  シテ(漁翁 阿漕の霊)香川靖嗣 ワキ(僧)野口能弘 アイ(浦人)野村遼太

  笛:栗林祐輔 小鼓:森貴史 大鼓:柿原孝則 太鼓:梶谷英樹 地頭:長島茂

 

第一部から1時間10分の合間を置いて引き続いて第二部。席は替わる。この間の待っているスペースが少ない。丁度雨が上がっていたので、外でぼんやりしたり、狭いスペースで謡の録音を聞いたり。

もうこの時点で、かなりの疲労。

 

狂言『昆布売』は3回目。2020年2月にシテ石田幸雄で、2020年11月狂言堂で大蔵流シテ茂山宗彦で。

今日は、一部二部とも、シテは万作の会の、野村家以外のベテラン。アドは1980年生まれの竹山悠樹。後見は、一部シテの石田幸雄だった。睨んでいた。

シテ大名が、家来も連れず、太刀を左手に出かける。家来は沢山いるけど、皆出払って、仕方なく一人で太刀を持って出かけてきた、というけど、ホントかしら。家来はいないんじゃないのかしら。

出会った、若狭の昆布売を、まず頼み事がある、聞いてくれるか、先に礼を言う、で、太刀を持ってくれと。断ると、諸侍に礼を言わせておいてなんだ、と太刀を抜きかかって威す。受け入れると、冗談じゃ、とごまかす。これはいつものパターンだね。

気分が良いシテ大名は、太刀の持ち方を教えたりして、つまり、主が自ら持つときは左手、家来が持つときは右手じゃ、と。意気揚々と、太郎冠者、等と呼んで歩く。だから、こう呼びたい家来が欲しいのではないかなホントは。ムッとしたアド昆布売は、太刀を抜いて逆襲する。

ここで怯えきるシテ大名。アドの言うままに、様々な呼び声や身振りで昆布売りをさせられる。なかなか庶民の動きも上手に。

最後は、やはり太刀小刀も返して貰えず、お終い。

相変わらず、見栄と威張りだけで、実力も金もない大名。復讐する庶民。定番の大名笑い飛ばし狂言。

 

能『阿漕』初めて。この日は、能2曲とも初見。初見稼ぎ。これで111曲観たことになる。今月は『自然居士』初見もあって、112曲になる予定。

『阿漕』は、殺生をする漁師の妄執を描く3曲の一。『鵜飼』と『善知鳥』。喜多流では『鵜頭』と書くらしいが、まあ、3曲全部観たことになる。

阿漕が浦、のあこぎ、とは、人名。伊勢大社に供える魚のみ採ることが出来る場所で、あこぎは、隠れて何度も網を打つ。しかし露見して、海に沈められてしまう。そこで、阿漕が浦と呼ばれる。

あこぎな奴、とか言うときのアコギの語源とか。初めて知った。繰り返し悪事を働く、反省しない悪いやつとか。

前場は、少し狩猟の様子を見せるだけで、語りが多い。予習できないから、眠い。

中入りのアイ狂言語りは、第一部アドの野村遼太。きちんと。どうしても今日は若手の出番にしたい万作の会。

後場のシテは、幽霊になっても狩猟を止められない阿漕の霊。捕った獲物に回向を頼むとか、反省とかもしない。もう執念の塊で、死んでも、狩りを止められず、成仏できない。だからアコギ。

後場は、見せ場のカケリもあったようだけど、申し訳ない、眠くて。

三殺生ものを、全部観た、というだけでした。

 

少し、能を観るのをセーブ、選択しなければならないか。他流は、余程のことがない限り見ないとか。設備の良くない場所では見ないとか。予習ができそうもない能は観ないとか。でも、初見のものは観るとか。国宝、名人、上手の能は観るとか。役者が誰かは大事。

ちとルールを考えないと、大変。