6月18日(金) 国立能楽堂
狂言 『箕被』 (大藏流・宗家)
シテ(男)大藏彌右衛門 アド(妻)大藏彌太郎
(休憩)
能 『松風』 (喜多流)
シテ(松風)狩野了一 ツレ(村雨)内田成信 ワキ(旅僧)森常好
アイ(須磨の浦人)大藏基誠
笛:杉市和 小鼓:観世新九郎 大鼓:亀井広忠 地頭:出雲康雅
面:シテもツレも「小面」
狂言『箕被』は2回目。2019年6月に、和泉流・野村万作の会で。最近、ブログに載っている狂言を纏めたので、回想できるのです。
連歌にのめり込んだ、シテ男に愛想づかしをしたアド妻が、離婚してと言うと、連歌を選択して離婚することにする。その印に箕を与えるが、最後に、その姿を見てシテ夫が風情を感じて、「いまだ見ぬ 二十日あまりに三日月(箕被)の」上を読むと、アド妻が、「今宵ぞ出づる 身(箕)こそ辛けれ」と下の句を付ける。素晴らしい連歌ができて、その才能を初めて知って、もう連歌は止める、出かけない、二人で恋歌を作って遊ぼうと、結納的な酒盛り。更に、シテ夫は能『芦刈』の小舞。極めて仲が良くなって、こちへおりゃれ、心得ました、でお終い。
その連歌が、今回の大藏流と、前回の和泉流で異なる。その歌は、前回のブログ参照。
記録を取っておくと、楽しさ倍増です。
どんな心理劇なのか解らないけど、遊びばかりの夫と、能力はあるのに生活が気になる妻と、そんなモノなんですかね。
能『松風』は、3回目。2019年10月に代々木果迢会例会で、2020年3月には3人の会で、シテ松風は観世流梅若の川口さんでした。いずれも観世流で、喜多流は初めて。
世阿弥作で、自信作とか。
3回目見るけど、初めて見るような感動を味わった。
在原業平の兄、行平が、須磨に3年住んだ間に作った女性2人、姉妹、松風と村雨。3年で置いてきてしまって、その忘執に苛まされる姉妹。3年も単身赴任すると、女を作るのです。羨ましい。
その姉妹、シテ松風とツレ村雨が、二人して、相舞、相謡、揃う。前半は、2人が協調して動く。最初橋掛かりから出てくるのも、どっちがシテ松風か、ツレ村雨か良く解らない。謡を聴いていくと、ツレ→シテの順に出てきたのが解る。衣装も同じ。表も同じ。詞章もシテとツレの合唱的がほとんど。
前半が終わって、中入り的に囃子方も休んで、シテ松風、ツレ村雨、ワキ旅僧の語りが続く。ここ、囃子方が休むんだ。床几から降りて、向かい合って座っている。こういう舞台って、珍しいし、変化があるなあ。3回目で初めて気付く。
囃子方が入ってくると、後見が、シテ松風に烏帽子狩衣を渡す。形見だ。シテ松風はそれを手に取って、苦しそう。遂に狂ったか、舞に入るが、その前に物着。舞台中央で、後見2人がかりで物着。縫い糸なども使いながら、手早く、しかし、焦らず、しっかりと。このお能は後見の役割が大きいなあ。
そして、狂い舞うシテ松風。この舞がよろしい。中ノ舞と破ノ舞。喜多流の舞い型は、梅若とは違うけど、まあかなり良いのではないか。
シテ松風は54歳くらいの役者。ツレ村雨役も同年齢。このお二人の、揃った動きと謡がぴったりで、良うござんした。二人の息が会わないと難しい。喜多流、渾身の舞台か。
なかなか名曲と思う。
今回の国立能楽堂は、能楽書林が出店していて、藤沢周さんの「世阿弥最後の花」の販売があった。6月21日からと思っていて、チラと覗いたら、販売していた。うれしくなって、声をかけたら、本日入荷した、ホントに初めての新刊だと。7月1日付けの能楽タイムズにインタビューが載りますよね、と尋ねたら、そうですと。隣の男性がインタビューしたと。益々うれしくなった。
この本の主要参考文献欄に、「※また現在、謡・仕舞をシテ方観世流・梅若紀彰師(重要無形文化財総合指定保持者)に師事」とあって、またまた、何倍もうれしくなる。