6月2日(水) 国立能楽堂
狂言 『花盗人』 (大蔵流 山本東次郎家)
シテ(三位)山本東次郎 アド(何某)山本泰太郎 立衆(花見客)山本則重・等全6名
(休憩)
能 『吉野天人』・天人揃 (観世流 宗家)
シテ(女 天人)山階彌左衞門 ツレ(天人)武田宗典・等全5名 ワキ(都の者)則久英志
アイ(里人)山本則孝
笛:一噌幸弘 小鼓:住駒充彦 大鼓:安福光雄 太鼓:梶谷英樹 地頭:浅見重好
6月の国立能楽堂は、予約が難しくて、脇正面になってしまった。取り分けて本日の演目は、『吉野天人』の天人揃の小書きで、橋掛かりに天人が並ぶはずだから、中正面で観たかった。
狂言『花盗人』。同じ東次郎さんシテで2019年5月に見ている。横浜能楽堂の東次郎家伝十二番2回目。シテとアドの配役は同じ。立衆は今回は6名、前回は4名だった、とブログに。国立能楽堂の橋掛かりが長いからかな。
高位の僧でありながら、稚児にあげたくて、桜の枝を折って持ち帰りたく、他人の屋敷に侵入する。ホントの泥棒。入口が開いているからと。前にも同じ人物に盗まれた屋敷の主人アド何某が、立衆花見客を連れて、隠れている。そこに、のこのこシテ三位が来たものだから、みんなして捕まえて縛り上げる。許してくれい、だけど、花盗人は良いのだとかなんとか、言い訳。
ここで引用される漢詩や古歌が解らない。前もそうだったが、前回のブログには3曲が書いてあるのは、配布されたパンフに書いてあったのだろう。今回は、販売されるパンフには何も記載がない。単に、シテ三位の教養を示すだけだということで、載せないのかしら。無教養人には解らないが、解りたいよね。折角パンフを販売しているのだから。
『放下僧』の一部、仕舞の部分が謡われたが、これは丁度お稽古会で観たから。コキリコの云々。
勿論舞台上ではアド何某などには通じて、感心して、逆に宴会となってしまう。でも、その隙に、シテ三位は、太い枝を折り取って、笑いながら逃げ去り、退場。呆然と見つめるアド何某ら。許すまいぞ、許すまいぞ。
さて、これはどんな心理劇なのかしら。花の美しさ、教養。
まだ、5月30日のお稽古会の疲れが残っていたか、ふと気がつくと寝込んでいて、半分以上気を失っておりました。済みません。勿体ないことに。
能『吉野天人』、初めて。観世流だけのものらしい。
これも、三吉野から移した「千本の桜」の美しさをひたすら愛でた謡と舞。まあ、和州=奈良県の吉野山の桜かな。この桜を愛でようと、ワキツレ2名を引き連れて、千本に赴く。そこで、桜を観ていると、幕の中から「の~の~」と声をかけてくる前シテ女。実は、花に引かれてきた天人。
この幕内からの「の~の~」は、天人なのだから、もっとゆったりと、高めの声で発声した方が良いなあ。これも、紀彰先生の「の~の~」が耳に残る。『羽衣』だったかな。いや、今年1月の『小鍛治』のツレの登場時だ。今度、紀彰先生に『羽衣』を習うのだが、「の~の~」が上手く謡えるかな。
アイ狂言は、山本則孝さんが、すっくと立って、立派に語る。解りやすかったです。アイ狂言語りは、パンフにも台詞が載っていないから、解らないとね。
中入り後は、天人計6名が橋掛かりから登場。前から2番目がシテ。前の3人は、舞台に入って、残りの3名は橋掛かりに残ったまま、揃って、舞。中ノ舞というらしいが、良く解らない。ゆったりした舞ということか。
皆さん、美しい装束を着て、長い橋掛かりとはいっても、ぶつかりそうにもなる中、袖を翻して舞う。これが、ほぼ揃わなくちゃならない。きっと、練習を重ねたのでしょう。美しく、優雅に揃っていました。
「少女(おとめ)は幾たび 君が代を」で始まるキリ。この箇所は、お稽古会で仲間が仕舞をした部分で、何度も聴いていて耳になじんでいるから、一層、謡と舞共に楽しめました。
こっちは、寝なかった。
今回は、2曲とも、狂言もお能も、花(桜)の美しさを取り上げた曲。両曲とも、桜の作り物が登場。
すでに、梅雨に入ろうかという時期だけど、コロナに負けず、花の美しさで、優雅な時を過ごせました。