5月29日(土) 横浜能楽堂

狂言組 (大蔵流 山本東次郎家)

『文蔵』 シテ(主)山本東次郎 アド(太郎冠者)山本則孝

(休憩)

『若菜』 シテ(大名)山本則重 アド(太郎冠者)山本則俊 アド(次郎冠者)若松隆

     立衆(大原女)山本泰太郎、山本則孝、山本則秀、寺本雅一、山本凜太郎

     笛:藤田貴寬 小鼓:幸正昭 大鼓:原岡一之 太鼓:梶谷英樹

 

一昨年の4月から始まった「東次郎家伝十二番」は、昨年3月の十二番目でコロナ感染拡大防止のため中止となって、最後の最後、締まりのない状態になっていた。

そのままのハズがない、家伝十二番なのだから、十二番やらないと画竜点睛を欠く。ということで、何度もアンケートなどで、最後の十二番目の再公演を希望してきた。

その思いは、見所だけではなく、横浜能楽堂もそうだったろうし、何より、東次郎家自体も再開したかったに違いない。

それが、やっとこさ、1年と2ヶ月後に実って、今回の「結び」となった次第。喜びや、喜びや。

十二番目の曲は、『鱸包丁』だったのを『文蔵』に変えて、『若菜』は同じ。確か、東次郎さんは『鱸包丁』のシテ役だった。どうやら、東次郎さんの膝の調子によるモノらしい。

 

『文蔵』、初めてかと思ったが、終わってみると、どこかで観た記憶。あるいは、調べただけか。

シテ主に無断で出かけたアド太郎冠者に、シテ主はひどく立腹。手打ちに及ぶかもという勢いだが、都の伯父方に行ったと聞いて、何かをご馳走になっただろう、それを知りたい、と、何故か、ひどく思い込む。食いしん坊なのか、その伯父が美食家なのか。それを聞きたいから、許す。

でも、アド太郎冠者は、なかなか思い出さず、シテ主はイライラ。朝食か、温かい物か、甘い物か等と問い詰めるが要領を得ない。

そこで、きっかけを思い出させようと、シテ主が「源平盛衰記」の「石橋山の合戦」を語り出す。ここが秀逸。床几に座って、仕方語りで、朗々と。ここが、本曲の中心かと。有名な、アイ狂言の、那須与一語りのよう。与一は能のアイ。こちらは、1曲の狂言に仕立て上げた。色々な型を組み合わせて、しっかりと語る。動きのある講談を聴いているかのよう。

そのなかで、ブンゾウという語り言葉を聞いて、アド太郎冠者が、はっと思い出し、ブンゾウガユを頂いた、と。

ブンゾウは人の名前で、それはウンゾウガユのことだろうと。温槽粥のこと。禅宗の粥らしい。

それでお仕舞いなのだけど、それはオチみたいなモノで、仕方語りが素晴らしい曲。

丁度、能楽タイムズ6月1日号に、4月の喜多能楽堂での『文蔵』東次郎シテの評が書いてあった。実に聴きごたえのある語りで、まさに東次郎の至芸である、アド太郎冠者役は泰太郎さんだったが、どのように聴いていたか、東次郎のこの芸位を継承することへのハードルの高さ、とまで書いて絶賛していた。

確かに。

この東次郎シテ『文蔵』は、7月16日の43回納涼能でも予定されている。また、9月17日の代々木果迢会では、野村萬シテでも『文蔵』が予定されている。

しばらく、楽しめそう。

 

『若菜』は、何回目か。春の野に遊山に出かけた遠国の大名と家来2人。酒を飲んでいると、大原女の謡が聞こえてくる。彼女らを呼んで、一緒に宴会。うららかな春の一日。酒を酌み交わし、謡や舞を披露し合って、楽しく、豊かな時間を過ごす。叙情的な、狂言にないような曲。心理劇ではない。叙情的な、流れるような、気持ちよくなる狂言曲。

こんな曲もあっても良いような。東次郎さんが復曲したらしい。和泉流にもあるのだそう。

東次郎家総動員で、謡って、舞って。

現在は5月でもはや夏のようだけど、去年の3月に予定されていたときは、まさしく春最中。

 

番組にはなかったけど、最後に東次郎さんが挨拶。

これで十二番、ホントにお仕舞い。

 

最後の最後で、実に楽しみにしていたのだけれども、明日、お稽古の発表会になってしまって、そちらに気が行って、狂言に集中できない自分がいた。勿体ない。