先日アップした、『狂言のことだま』に関するブログ、力尽きたものの、その続編として。

 

Ⅲ 間狂言の役割

アイ狂言と読むことは、ご存じでしょう。

一曲の能の中入時に、狂言方が出てきて、様々なことを行う。お能を見始めた頃は、シテ方が中入りして、装束替えなどしているときの時間つなぎかと思ったり、前半(前場)の要点の復習だなあ、と思ったり。

現に、中入りで狂言方の出番の時は、囃子方は、床几から降りて、向かい合いに座って、まあ、「休め」の状態ですから。

謡のお稽古を始めて、梅若の謡本を読んでみても、間狂言の部分は、云々、としか書いてないこともあって、台本には「ない」のです。ワキの詞章はしっかり書いてあるのに。

お能を観ても、例えば梅若の公演で、梅若の謡本通りにシテ方は謡うとして、ワキ方はワキ方で、独自の台本を持っているのでしょうから、梅若の謡本とは微妙に詞章が異なります。

なのに、狂言方の間狂言は、まったくというかほとんど無視状態になっている。

 

本書では、「間狂言は狂言方にとって非常に大切な役」だと。

東次郎先生が間狂言にこだわるのは、「①狂言と同じ基本に立ちながら、端役ゆえに軽視されがちな間狂言の性格と重要性を明確にすることによって、未だにいろいろな誤解が生じている狂言そのものの本質が正しく理解される裏付けになるであろうこと、②一曲の能のなかの間狂言の存在意義をはっきりさせることによって、能楽という総合舞台芸術のなかの狂言の位置づけを再認識して頂くことが可能となるであろうと思うから」です。

 

最初の体験は、今で思えば、間狂言の重要なモノの『語り(カタリ)間』である、「語 那須」を、鑑賞したとき。番組でも、独立の演目として取り上げられていて、素晴らしいモノだな、と感じたけど、それが、能『八島』(『屋島』)の間狂言の替間だとは認識できなかった。2018年10月のこと。横浜能楽堂主催の修羅能の世界第2回。山本則重さんだった。しかも、則俊さんの代役で、あんな難しいのを急遽代役でできるんだあ、と。

まだ能鑑賞のホンの入口の時期。

 

間狂言の種類に、「語り(カタリ)間」「会釈(アシライ)間」の二つがあって、特殊演出として「替間(カエアイ)」があると。この種別は、「中・高校生のための」とは少し違うが、まあ、論文ではないので、良いのです。

 

以下、能に合わせて解説。能という総合芸術の一部であるから、能の解釈にも踏み込んで行かざるを得ない。

1 『姨捨』 (所詮当事者の心の奥は第三者には知る由もない)

このお能は、2019年10月、横浜能楽堂の蝋燭能で見ている。アイ里人は山本泰太郎さんだった。

「もしアイの語りがなければ、老女の身に起こったこ出来事を誰も知ることはできない。」

「里の男によって語られる老女の身の上は、人間心理の醜悪さを含んだもの」

「老女の受けた仕打ち、棄老を、どんなにか恨んでいるか想像に難くない」

「そういった言葉を、当の老女の口からは語らせず、別の人間の口を借りて語らせることによって、その悲劇性は高まる」

なるほど・・

「ただ美しく描くこの能『姥捨』が、現実の生命との冷酷な引き換えによって生み出されたものであることを、はっきり語るのがアイの役割。」

だそうで、確かに、ですね。

このときのブログには、間狂言の役割など、一つも触れていない。認識していないのでした。

 

2 『石橋』 (真の勇気を持たなければ、石橋は渡れない)

これは、2020年11月、代々木果迢会の別会・竹灯籠能で鑑賞した。アイ仙人は、山本泰太郎さん。

後半だけの半能ではなくて、全能であったが、ブログを読み返してみても、アイについてはほとんど触れられていない。

『石橋』には実は、「習い」として狂言方にとって極めて重要とされている間狂言がある、と。

そうならば、そうと、事前に、説明して頂かないと解らないです。取り分け半能が多いから、出番すらない。

アイせがれ仙人は、石橋を渡ろうと何度もチャレンジするが、恐ろしくて渡ることができない。もう一度仙家に帰修行しようと、立ち去る。

鑑賞したときは、まったく聞き取れなかったのでしょう、理解できなかった。

東次郎さんは、一尺幅の橋だから、滑るかも知れないけど、心静かにすれば渡れないことは無かろうが、恐怖心から平常を失って、煩悩の中で、渡れない、こうした人間を表すのが、アイ狂言のせがれ仙人、だと。凡人の代表選手。

なるほど。

シテ方謡本の台本にも書かれていないアイ狂言には、そんな重要な解釈上・舞台構成上の役割があるのですね。

 

3 『一角仙人』 (己を絶対と思う自尊心を他人は理解できない)

これは、2019年4月、国立能楽堂で。アイ仙人は山本則孝さん。

この曲は、要するに、シテ一角仙人が龍神を岩戸に閉じ込めたが、ツレ旋陀夫人の酒と色仕掛けで、岩戸を破らせ、子方龍神と戦ってシテ一角仙人が負ける話し、と当時のブログにも書いてある。酒と色に、仙人も負けてしまって、龍神が復活して、雨が降って良かったね、というお話しだと。

ところが、何故に、シテ一角仙人が龍神を閉じ込めてしまうか、について、詞章では「さる子細あって」とだけなのに、アイの語りによって、シテ一角仙人が雨の中で足を滑らせて転んだため、と語られるという。

あのとき、そんなことは聞き取れなかったなあ。

確かに、さる子細あって、だけど、こんなつまらないことで、と思うよね。なんで、こういうアイ語りになっているか。

それは一角仙人のプライドの問題だと。プライドの高い一角仙人が、雨で滑って転んでしまう、まあみっともない、自分が許せないけど、そもそも、雨を降らせた龍神が地面をぬらせたのが悪いんだと、責任転嫁のお話しだと。

自分の弱さ愚かしさを真っ正面から受け入れることができない心こそ、最も脆弱なモノだ、との教訓。

これは、アイ狂言が無いと解らないよ。しかも、しっかりと解説して貰わないと。2019年4月号のプログラム解説にも、そんなことは書いていない。

これこそ、目から鱗だけど、こういうことの作者は誰なんだろうか。作者は金春禅鳳らしいが、そこまで書いたのかな。シテ方の謡本にはアイ語りは書いていないよね。狂言方が、作り上げたのかな。

 

4 『黒塚』(『安達原』) (他人の秘密は何としても暴きたくなるもの)

これは、2回見ていて、2019年7月にかまくら能舞台で、アイ能力は善竹十郎さん。2020年9月は国立能楽堂ショーケースでアイは内藤連さん(野村万作の会)、でした。

詳細に書くと、大変だから、このメモにとどめる。アイの役割は、解りやすい。

 

5 『道成寺』 (思わぬ抜擢は小者を不遜にし、禁をも破る)

これも2回。2019年2月横浜能楽堂、朝薫との組み合わせ、、アイ能力は山本泰太郎さんと則孝さん。2021年2月国立能楽堂代々木果迢会別会で、アイは野村太一郎さんと裕基君。

これもわかりやすい役割だけど、鐘を吊る、開始告知と鐘楼固め、白拍子への参拝の許可、など。その言い訳での責任の押し付け合い。白拍子への許可は、権限外で、禁止されているのに許してしまう心理、奢りと自慢。

白拍子が舞を舞おうと言うときに、アイ能力は、パッとあらぬ方向に向きを変える、視線を外す型をするのだそうです。その心理状態まで、理解ができれば、ということでしょうが、そんな型はまったく気付かず。

 

6 『夜討曽我』 (人はどんなときでも楽に安穏に生きていたいもの)

2020年12月に、川崎能楽堂で、アイは金田弘明さん(三宅狂言会)。

復讐が成功して恐ろしくなって、逃げてくるアイ伝令。アイは、吉備津の宮の神主・大藤内と、狩り場の見回りの下級武士かも。観たのとは違うかも知れない。

その服装が、女物の着物を羽織って、左手に帯、右手には尺八。怖くて、ビックリして、逃げ出したくて、同衾して遊んでいた遊女の着物奪ってきたのだと。女は殺されない。慌てているから、刀も持てず、尺八になってしまうと言うみっともなさ。

どんなにしても助かりたいと切望する人間への哀れみ、と。

そうですねえ。理解できなかった(か、観たアイは別だったか)。

大藤内は、狂言方にとって重要な役で、「習いもの」だそう。やはり、別だったのかな。川崎は舞台が狭いから。

 

7 『烏帽子折』 (手柄を立てて一山当てたいが、命は惜しい)

これは本舞台は観たことがない。ただ、DVDは持っていて、何度か観た。アイ盗賊は野村万之丞さん、他。

書けないけど、3人で牛若丸(義経)のいる宿に押し入るが、暗くて見えないし、強いから、逃げ帰るのがアイ。

臆病で足並みが揃わない盗賊たちとの対比で牛若丸の強さを暗示する、と。

 

以下、全部書けないから、表題などだけ。

8 『船弁慶』 (お得意の悲劇も不幸もビジネスチャンスに)

これは、何度も鑑賞。いろいろ、間語りがある中で、自分を売り込んでいるモノもあって、ああ面白いなと納得しました。

 

9  『嵐山』(替間)猿聟 (純粋なものばかりが理想どおり動くとは限らない)

 

10 『賀茂』(替間)御田 (大自然の摂理は受け入れるしかない人間たち)

2019年5月に、この替間を観ている。オモアイ加茂明神の神職が山本則秀さん。宝生流だったから『加茂』。

田植えの儀式付きの替間狂言。

 

解りました。確かに、アイ狂言は、総合芸術である能の中で、重要な役割があって、今まで、軽視していました。

これはこれで、キチンと解説なりしていただかないと、気付かないと思う。

 

すでに、3時間を越えてしまって、今回も、最後まで紹介できない。続きます。

後は、Ⅳ 三番三ー稲の精霊の舞 です。三番叟(三番三)は、狂言方の取って最も重要な役割で、崇高なものです。是非とも、ブログに書き上げたいです。

が、またまた、この後、落語会、能楽会、落語会が続くので、さて、今週中に書けるか。

頑張ります。