5月8日(土) 横浜能楽堂
和泉流 万作の会
解説 高野和憲
小舞 『貝尽し』 野村裕基
狂言 『柑子』
シテ(太郎冠者)野村万作 アド(主)野村萬斎
(休憩)
狂言芸話(二十一) 野村万作
狂言 『悪太郎』
シテ(悪太郎)野村萬斎 アド(伯父)石田幸雄 アド(僧)深田博治
この回、21回だが、去年の5月6日に計画されていた狂言会で、延期となり、ほぼ一年後に延期。延期との連絡で、チケットはそのまま有効であるとの連絡があったような気がしてたるが、どうやら、一旦全部払い戻して、再販売になっていたらしい。そんな連絡、チケットぴあからあったかな。
で、去年のチケットを持って悠然と会場へ。B席、2階1列17番のはず。受付で、去年のチケットですね、と誘導されて、説明を受けて、払い戻していないことが確認できるので、同じレベル席で空席があるので、案内できるという。見たらば、中正面5列20番という端の席が残っていたので、即その席へ。結果的にはラッキーだったけど、もし、完売になっていて空席がなかったら、どうなっていたんだろうか。また、S席(正面)を持っていた方はどうなったんだろうか。正面は満席だったよ。
ま、ともかく、却って、のんびり。
この万作萬斎の会は、確か、関内ホールとか、相模女子大グリーンホールで行っていたのじゃないかしら。ホール狂言なので、敬遠していたけど、我がホームグラウンドの横浜能楽堂ならば行かん、と、去年購入した記憶。
解説は、普通の。だけど、笑って欲しいと、そうすれば役者もやる気が出てきて、観客も満足できるし、と。そうだとは思うけど、東次郎さんの著作を読んで、狂言とは心理劇である、深い意味を読み取る見巧者にならねばと、やや緊張している自分がいるし、笑えとの解説にも、やや納得していない。それで良いんですね、と確認したい気分。
小舞は、お能の仕舞に対応するもの。能『玉井』の間(アイ)狂言の替間(カエアイ)だそう。その能『玉井』も知らないし、替間(カエアイ)なんてのは、東次郎さんの著作を読んで初めて知った訳で。
お能の舞の型と大分違うなあ。じゃどこがと言われても即指摘できるほどではないけど、違う。能の流派による違いを超えている印象。
裕基君。背が大きくて。立派に舞っていました。
狂言『柑子』、初めて。夜前(前夜のこと)、宴会で頂いた枝ごとの蜜柑、三つも付いている珍しいものだから、この辺りの大尽であるアド主が、シテ太郎冠者に持ち帰らせる。ところが、実は、アド太郎冠者はその柑子(=蜜柑)を全部食べてしまっていて、翌日、アド主から出せと言われて、様々弁解するストーリー。
一つは、枝から落ちてしまったので、皮をむいて食べてしまった。アド主は是非もないと。二つは、刀の鍔に当たって潰れたので、すする様に食べてしまったと、言い訳。これも、アド主是非もないと。
さて、三つ目は。そこで、平清盛に喜界が島に流した3人、俊寛らの話を持ち出して、平家の屋敷、六波羅をもじって、洒落で、シテ太郎冠者の、腹に入ってしまった、と言い訳というかナンというか。これにはアド主も立腹して、しさいおろう、と追いかけてお終い。
どこが、心理劇かは、解りませんでした。登場人物は二人で、柑子二つを食べてしまうまでは、アド主も大して怒らないけど、三つ目には怒るのは関係あるか。それとも三つ目の言い訳が気に入らなかったか。アド主の知識を試すような。
そもそも、持ち帰れと言われたシテ太郎冠者が、全部食べてしまう辺り、なんか、心理的なモノがあるのかしら。
万作も好きだし、父親の先代万蔵も好きだったという曲。楽しい小曲で、それで良いんじゃないのかしら。
狂言芸話は、万作師のお話しで、今回は、狂言面について。これは素晴らしい。二十一ということだから、よこはま万作萬斎の会の初めから、ずっと芸談があるのでしょうね。父親万蔵が面打ちでもあった話とか、面の意味、善し悪しなど、古典芸能における、骨董品とか。この芸談、纏めて書籍になりますよね。
狂言『悪太郎』、初めて。45分を超えるような大曲。シテ悪太郎は、出ずっぱりだし、科白も多いから、大変でしょう。アド伯父は前半だけ、アド僧も後半だけ。舞台上に3人が揃うことはない。
酒飲みのシテ悪太郎が、アド伯父が影で批判していると聞き及び、直接言えば良いのにと伯父宅へ。そこで、しこたま飲んでしまって、帰りに大道で寝込む。心配したアド伯父が後を追ってきて、寝ているシテ悪太郎を見つけると、懲らしめようと、長刀小刀を取り上げ、小袖を脱がせ、立派な長い黒髭も剃ってしまって、頭も剃ってしまう。その上、お前の名前は南無阿弥陀仏だ、と刷り込む。ここまでが前半で、ここでアド伯父は退場。
アド伯父は下戸なのに、シテ悪太郎に酒を飲ませる。その有様がおかしい。きっと、長刀や姿形で、伯父を威している。最初は、陰口への抗議。それに対して、アド伯父は、多分びびってしまって、機嫌を取って帰って貰おうと、酒を飲ませる。したたかに。
しかし甥のことだから心配でもあるから後を追うけど、寝込む甥を見つけて、仕返しと、教育をせんと、あれこれ行う。仕返し半分は、長刀などを取り上げること。教育半分は、お前の名前は南無阿弥陀仏だと。心を入れ替えろと言うこと。
そこに、アド僧が登場。鉦を打ちながら、南無阿弥陀仏と唱える。シテ悪太郎は、それを自分の名前を呼ばれていると誤解というか信じてしまって、返事をせねばなるまい、とアド僧に近づいていくが、アド僧は迷惑だけ。こういう変な奴は関わらないがよろしいと、無視して鉦と念佛。この頃は、シテ悪太郎は、坊主にされたことを訝るが、運命に従う気持ち。念佛に帰依したいということか。
事情を聞いてアド僧も段々と意気投合して、共に、狂言の踊り。
良かったね、で、アド僧は、橋掛かりを下がっていく。それを見つめたまま舞台中央にいるシテ悪太郎。アド僧が幕に入ってしまった後で、やおら、でもゆっくりとシテ悪太郎も橋掛かりを下がっていって、お終い。
やるまいぞ、や、しさりおろうとかの科白はなく、無言。アド僧を、ありがたそうに見送るだけ。
シテ悪太郎は、心を入れ替えたのですね。立派に、南無阿弥陀仏に帰依できたか、帰依せんと心を決めたか。
ともかく、あれだけの悪太郎が、その悪心そのままに、ということは、力を込めたまま、力を維持したまま、長刀と黒髭の世界から、出家の世界へ。
ふむふむ。何となく、深い心理劇があるようです。前半と後半の入れ替え、退場の仕方に、とても特徴のある狂言で、萬斎、とても素晴らしく。良い舞台でした。記憶に残るでしょう。
来年6月25日(土)に、22回よこはま万作萬斎の会があるよう。ちょっと、万作の会、企業体ではあろうけど、宣伝ばかりで鼻につくけど、内容がよろしくて、会場も横浜能楽堂なので、多分、行くでしょう。