丁度謡のお稽古で『田村』が一応卒業して、来月の発表会には『田村』前場のヨワ吟を連吟することになって、このところ気になっている、詞章の意味を捉え直さねばならぬと。
捉え直すというと格好いいけど、要は、今まで、意味も解らずに口述と謡本を目で追って謡ってきた謡の詞章を、できるだけ意味を理解しようとしている。
そんな気持ちもあって、馬場あき子さんの「読んで愉しむ能の世界」という名著を読んで感動し、これはブログに書いたけど、もっと足下の謡を、読んでみよう、読めればもう少しでも上手く、感情が解って謡えるのではないか、ということ。
そこで、『田村』。
前場は、桜の名所の清水を訪れたワキ旅僧、花守とも見える前シテ童子と言葉を交わし、清水寺の由来や名所教えなど語って貰い、さて誰か、と問うと田村堂に入ってしまう。
後場は、後シテ坂上田村丸の戦いで、伊勢路、鈴鹿山で戦い、これは千手観音と観音経の仏力で勝利する。
これは、大あらすじ。これだけでは、仕舞にも不足だし、目指す謡も不足でしょうと。
そこで、詞章を読んでみる。全訳は役が違うからできない。そこで発見を。
頃は、弥生半ば、春の桜の季節。長閑な日。夕暮れかな。
ここから、何度か出てくる言葉、「地主権現」「地主の桜」「面白の地主の花の景色」「地主権現の花の色」。これらの景色が、春宵一刻値千金、花に清香、月に影。
前シテ童子は、「地主権現の御前より」、下るかと思えば、下らずに、田村堂(今の、開山堂)に入り込んでしまう。
これで仲入。
恥ずかしながら、お稽古していただいている時も、気持ちよく謡っている時も、「地主」とか「地主権現」とか、意味わからず。法律家だから、じぬし、かと思ったり。その辺りの土地の所有者のことか、そこに咲いている桜のことか、そこにはお社でもあるのか、という程度。
つまり、「地主」は、一般用語と理解していただけ。
なんと、調べてみたらば、清水寺の境内にある神社、を地主神社、地主権現というのですね。昔は、神仏習合で、寺に神社も珍しくなく、地主権現と言えば、清水の神社を示し、そこが桜の名所だったんですね。地主神社は、清水寺だけではないらしいが、まあ、都近くの地主権現と言えば、清水のを指す。
あれまあ、こんなことも知らずに謡っていたなんて。穴があったら入りたいほどだけど、ここに自白します。我が教養と知識はこの程度。
それで疑問の一部が解消された。
やはり、謡の詞章の意味は、ある程度調べないとならぬ。
『熊野』。この曲も、シテ熊野が、ワキ平宗盛に連れられて、清水に桜を観に行くのだけど、色々、牛車に乗って通る中に、「地主権現の花の色」というコトバもあって、本殿の前に「地主権現」があって、でもシテ熊野は本殿で母を思ってお祈りしている、のんきなワキ宗盛は、多分、地主権現の桜の方に行って宴を張っている、そこに迎えに来られて、シテ熊野は地主権現に行って、舞を舞う、というのですね。
場所と動きがイメージできる。
清水寺には、何度か観光に行ったことがあったが、坂を登って、山門に入って、舞台を見て、音羽の瀧を観て、降りて下から舞台を眺め上げて、すげー、なんて言って、帰ってくるだけ。
平安時代の景色は、想像すらしていない。都からは結構離れた、あの世とこの世の境、清水寺の脇には、土葬場所もあって(鳥辺野)、舞台と音羽の瀧、地主権現。まだ良く場所が解らないけど、今熊野も。ここを通って逢坂の関かな。
もう一度、清水に行く時には、楽しくなるでしょう。『田村』と『熊野』。
勉強になる。
丁度今月、『田村』・替装束のお能がある。紀彰先生の『田村』連吟がある。
来月には、お稽古会で、紀彰先生とほぼ同じ箇所の『田村』連吟。
これで、いずれも楽しくなる。