4月7日(水) 国立能楽堂
狂言 『土筆』 (大藏流 善竹家)
シテ(某)善竹彌五郎 アド(某)善竹十郎
(休憩)
能 『熊野』・村雨留 (観世流 銕仙会)
シテ(熊野)観世銕之丞 ツレ(朝顔)観世淳夫 ワキ(平宗盛)森常好
笛:松田弘之 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:亀井広忠 地頭:梅若実
面:シテは「孫一」 ツレは「小面」
緊急事態宣言が解除されて、当初市松席販売だったのが、追加販売されて、両隣にも観客がいるスタイル。なんだか窮屈感があるけど、まあ良いのです。
狂言『土筆』、何度か。大藏流だからツクヅクシと読むのだったか。
春の野に遊びに出たお二人は、まず、土筆から取って、お土産にしようと。
土筆って、スギナだよね。春先に沢山酸性度の枯れた土地に生えてくる。スギナは、地下茎が長くて、地下茎を残して採取すると、また出てくるからやっかい。ただ引っ張るだけだと地下茎は残ってしまう。抜くのが難しい。その頭の部分がまず顔を出すのが、つくしんぼう。これを取るとスギナにならないのかどうかは知らない。
土筆は、袴を取って、から煎りして醤油と絡めて食すのだが、袴を取るのが大変。小さいし、指にはアクが付いて汚れるし。
このころ、土筆は取ってないなあ、なんて思いながら。
この辺りまでは、お二人は仲良し。
が、気分が乗ってきて、歌を歌おうという辺りから妙なことに。古歌を。
「我が恋は 松を時雨に染めかねて 真葛が原に 風騒ぐなり」を、風、さわぐんなり、と読む。
「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春ベと 咲くやこの花」を、シャクヤクの花、と読んでしまう。
お二人とも教養人ではあるが、一人が、わざとかどうか、少々言葉を換える。間違えるのか。遊びか。
それを笑うので、じゃあと、相撲で決着しようと。間違えた方が負けてしまう、3番勝負だと追いかけるが、別れてしまう、というなんとも春の野辺の、ホントは仲の良いお二人の教養人のお遊び狂言。
彌五郎さんが、齢80歳にして、味わい深い役どころ。歌を間違える方、相撲に負ける方。良いなあ。
能『熊野』、楽しみにしていました。最初のお教室で教わった仕舞曲で、発表会にも恥ずかしながら披露。まだ、3回目なんだって信じられないくらい身近になった曲。
2019年2月に観世流、同8月に硯修会の宝生流で。
シテ方の観世銕之丞さんに、期待。シテ熊野の登場は、ワキとツレの後、揚げ幕から登場するが、三ノ松で動かない。池田宿の母親が心配なのです。迎えに来たツレ朝顔は、銕之丞さんの子の淳夫さん(30歳)で、舞台の橋掛かり前で立ち止まる。池田宿からツレ朝顔が来たか、の辺りで一の松まで。預かってきた文を読むのは、また三ノ松。意を決して、ワキ宗盛に事情を話しに行って、帰京を願おうと、舞台へ。この辺りのシテの感情。良いぞ、さすが銕之丞先生。あの無骨な表情は(失礼)孫一の面に隠れているし。
<文の段>というらしいが、シテ熊野が、手紙を読み上げる。ここは漢文調で、詳しいことは理解できないが、なんとか帰ってきてちょうだいという母心、もう死んでしまいそうだ、と。
このあと、地謡が初同。地頭が梅若実先生。良い声だ。椅子に座っていたが、最初から入場していて、杖なしで移動。少しは良くなったんだね。舞は難しかろうが、やはり、謡は超一流。地謡には、銕仙会と梅若会の合同。紀彰先生は出ておられない。
作り物の牛車が出されて、中にはシテ熊野、その後ろにツレ朝顔、ワキ座辺りにワキ宗盛、その後ろにワキツレ従者が、佇立する。動くのは、わずかなシテ熊野だけ。それもほんのわずかに顔を動かす程度。道行きで景色を見るのだが、ほんの少しだけ動かすのは、まったく愉しんでいないから。他の3人は、動かない、動かない。これがよろしい。
シテ熊野が車を降りて、両手を合わせて、お祈りポーズ。本殿の辺りなのかしら。
のんきなワキ宗盛が急かして、仕方ない、シテ熊野は遊女だから、桜の縁を盛り上げなくてはならない、舞だ。
そこで、「立出でて峰の雲・・・」クセ舞。懐かしいというか、ああ、こんな風に仕舞をすれば良かったのか、なんて反省しきり。仕舞でも、全体の曲を理解しないとダメだよねえ。
続く、中ノ舞。綺麗に。村雨留めの小書きで、途中で小雨が降り出した風で、中断。
シテ熊野が、思いあまって、ワキ宗盛に短冊を書く。「いかにせん 都の春も 惜しけれど、馴れにし東の 春や散るらん」
やっとワキ宗盛は気付く。帰って良いよと。すぐに帰れと。シテ熊野も、ここで一度都に戻るとどうなるか解らないから、清水から直接に東に下る。方向は反対だからね。
地謡の「逢坂の関」辺りで、一の松で止まって、ふりかえる。「東に帰る名残かな」で、三ノ松。ここでもまた立ち止まって。
前に観た時の記憶では、帰ることのできるうれしさから、サッと急いで幕内に下がったような。でも、今回は、結構名残惜しそう。銕之丞先生の演出なのだろうか。平宗盛だけを、ワルモノにしない、ということか。
またしても、素晴らしいお能を見せていただいて。感動でした。