3月20日(土・祝) 横浜能楽堂

狂言 『樋の酒』 (和泉流 三宅家)

  シテ(太郎冠者)三宅右近 アド(主)三宅近成 小アド(次郎冠者)三宅右矩

(休憩)

能 『清経』・替之型 (観世流 宗家)

  シテ(平清経)武田友志 ツレ(清経ノ妻)武田文志 ワキ(粟津三郎)福王和幸

  笛:杉信太朗 小鼓:飯冨孔明 大鼓:佃良太郞 地頭:武田志房

  面:シテ「中将」(古元休・作) ツレ「小面」入江美法・作)

 

バリアフリー能という、横浜能楽堂が既に20年くらい継続している、障害者が観に来られる趣旨の能楽会。聾唖の方も、車いすの方も。補助者一名は無料という。様々な設備が用意されている。だから、ノンバリアのワタクシは参加資格が無い、というか、こんなもので席を確保してしまったならばまずかろうと、今まで予約してこなかった。

ところが、この日の朝に、横浜能楽堂のツイッターで、当日券あり、とあったので、席が余るよりは行っても良かろうと、即電話して予約した。2階席の最前列。3000円。暇だったしね。

 

初めのお話しがあって、それには舞台上の手話と、2箇所のプロジェクターがついて、文字でも見える。

配られるパンフレットは、狂言も、能の曲目解説が、フリガナ附きで、しかも、狂言も台詞コトバがそのまま文になっていて、これは障害者で無くとも解りやすい。特に狂言は、台本そのままに、挿入の謡まで書いてあって、これは初めて解る。

 

狂言『樋の酒』。何度も。三宅右近さんは、手話狂言も、黒柳徹子さんとやってきたから、こういう会には理解があるのでしょう。

でも、狂言自体は、何かしらの「手心」や「改変」など無く、普通に、しっかりと狂言曲を演じていた。

太郎冠者と次郎冠者が、宴会となってしまって、謡や舞、地の謡が出てくるが、これが、パンフレットにそのまま書かれていて、あそうか、と、ああそういう文言だったか、謡だったか、と、これは為になった。

バリアフリー効果。おこぼれだけど、あらすじだけでは無くて、こう細かく書いてくれると理解が進むなあ。

 

能『清経』、4回目です。前回は2020年8月の国立能楽堂。

物語は解っているので、新しい発見を。

笛方の杉新は、少し太ったか。

ツレ清経ノ妻が、まず入場してきて、脇座に座るが、このまま最後まで、ちょっと向きを変える程度で座りっぱなし。ワキ方が座りっぱなしは多いけど、シテ方の座りっぱなしは、無いと思う。座り型が違うのかも知れないけど、良く足が痺れない。最後、退場するために立ち上がって、揚げ幕へ摺り足で歩くが、ちっとも足のしびれを感じさせない。凄いねえ。

シテ清経役の武田友志さんは、若いのでしょうね。地頭の武田志房さんが1942年生まれで、その長男がシテの友志さん1974年生まれ、次男がツレの文志さん1977年生まれ。若い力の揃った舞と謡声でした。きっちりとした型で。さすが観世流で、武田家の御曹司。

ドラマ「俺の家の話」を見ているから、こういうお家が気になって仕方が無い。観世流の中の武田家、上手く継承できているんでしょう。お稽古も。

歴史あるお家だからか、面も良いものを。

バリアフリー能だからと、何の手抜きも無い。

最後のキリ、よく知った詞章謡と、舞の型、やはりこういう知識があると、見ている方もキリッとしてくる。

パタッと終わる終わり方も、良い。序破急。

小書きの「替之型」は、不明。2020年3月の3人の会での『清経』小書き「恋之音取り」は良かった。その時と同じ笛方なのだけど。小書きまで理解できるようになると良い。

 

最近、お能の、詞章の意味が解りたくて。見たり、聞いたり、感じたりのお能では無く、更にその詞章の意味まで理解できると、深く楽しめると思う。

和歌や、古歌、平家物語、源氏物語、中国の故事、司馬遷の史記の知識が十分あれば良いのですが、今更無理だから、これは個別の曲の詞章で研究するしか無い。事前勉強するしかないのです。

前回のブログはその走りで。馬場あき子さんの解説を聞いて感動したし。本も読んでいる。読んで楽しむ、ということ。詞章を理解して楽しむ、ということ。あらすじだけで無くて、細かな詞章の文句まで。

お能の楽しみ方も、深化してくる。