3月10日(水) 横浜能楽堂

講演 「能と日本刀」 本阿彌光蓮

仕舞 『屋島』 観世喜之

    『鞍馬天狗』 観世喜正

狂言 『二人大名』 (和泉流 野村万作の会)

   シテ(大名)野村裕基 アド(大名)石田淡郎 アド(通りの者)深田博治

(休憩)

能 『小鍛治』・白頭 (観世流 九皐会 鎌倉能楽堂)

   シテ(爺 稲荷明神)中森貫太 ワキ(三條宗近)殿田謙吉 ワキツレ(橘道成)則久英志

   アイ(宗近の下人)中村修一

   笛:藤田貴寬 小鼓:幸正昭 大鼓:亀井広忠 太鼓:林雄一郎 地頭:観世喜正

 

本阿彌さんの講演は、初めて知ることが多くて、面白かった。日本刀について、ほとんど知らないし。

現在でも国中に180万振り存在するらしい。銃刀法の届出による。

日本刀の鑑定結果は、「折紙」に書かれ、「折紙付き」とは、鑑定保証付きを言うらしい。それに「たいこ判」が押してあると、金5両以上の価値がある保証だとか。その保証書を出せるのは、本阿彌家宗家だけとか。

たいこ判とは、太閤判で、太閤秀吉より頂いた判のことであるとか無いとか。この辺りになってくると怪しい。広辞苑では「太鼓判」と表記してある。太閤ではなくて、太鼓。

更に、金5両に満たないモノを「札付き」というと。太閤判が押していない、折紙。広辞苑によると、札付きとは、(善悪にかかわらず)定評のあること、世に知れ渡っていること、とあるので、あながち狂っては居ないけど、かなり、牽強付会の気がしてくる。

まあ、一つの情報として・・。

 

仕舞は、九皐会の師匠喜之とその子息喜正。

3月1日号の「能楽タイムズ」1面トップ記事が、「観世喜之氏舞納め」だった。2月14日の『鶴亀』シテにて、85歳を過ぎて足腰も弱ってきたので舞納めだと。後見や仕舞、お稽古は続けられるそう。

そんな記事を読んでいたので、仕舞『屋島』は注視していたが、やはり、ね。声は小さく擦れて聞こえないし、舞はピシッと出来ない。

比べて、喜正氏は、若さだけではなくて、貫禄も備わってきて、立派な謡と仕舞でした。当主交代でよろしいのではないかと思いますが。その辺、関心はあるが、難しいのかしら。

 

狂言『二人大名』は何度か。裕基君がシテ大名で、石田淡朗さんがアド大名。こちらは、世代交代の感。野遊びに出た2人の大名の内シテ大名が、手にした太刀を通りすがりものものに、威して、持たせる、傲慢な振る舞い。

却って、太刀で2人とも威されて、腰の小太刀や、小袖を取られ、犬や鶏、小法師の真似をさせられるという、威張り大名復讐劇。でも、どうして、2人なんだろうか。1人大名でもよろしいのに2人で掛け合いをするのは、小法師の真似をさせられて、囃子舞を踊らされるシーンだけ。後は、別に1人でも良いのに。シテ大名が、通りすがりのモノを威す時、アド大名が止めに入る。アド大名はそもそも太刀を持ってきていない。地位や位に差があるのだろうか。でも、いたぶられ、モノを取り上げられるのは、一緒。

何だか、アド大名が可哀想。シテ大名は、威張るだけで、アホ。自業自得。アド通りすがりモノは、武士ではないし、仕返しできて、大儲けして良かったね。損して、虐められるだけなのが、アド大名。同情します。

 

能『小鍛治』は、3回目で、今年の1月にシテ梅若紀彰で観たばかりで、比較鑑賞でした。

今回は、白頭の小書き付きで、前場で幕内から登場するのが、童子ではなくて、爺。更に、後場では、もっと激しい舞らしい。

ピシッとした緊張感がなくて、単に、お上手にシテ方務めているね、というだけの感じでした。

済みません。師匠の紀彰師と比べたらば、マズイですよね。色目もあるだろうし。

見所も、5分の1くらいしか入っていなくて、能楽師の方々も力が入らなかったこともあるのでしょう。見所との一体感で盛り上げないとね。

 

高等遊民の能楽鑑賞量による感想。シテ方の方々は、忙しいし自己の研鑽もあるのでしょうが、自己の流派、お家だけではなくて、他流、他家のお能を、しかも上手のモノを沢山見た方がよろしいでしょう、等と生意気なことを。

結構な数のお能を観てくると、曲の違いもあるけど、なんと言っても、舞台の緊張感が必要で、極端に言えば、お能の始まる前のロビーなどから、緊張感が漂う舞台だと、しかも、シテの登場でピシッと決まる舞台だと、感動するのです。

シテの謡や舞で、あれっと言う疑問が湧かずに、集中できる、囃子方も気持ちがこもる、地謡も揃っていて腹に響く、そういう一期一会の舞台が、よろしいのです。

勿論、ワキ方、囃子方、地頭もあるけど、やはり、シテ方の力量なんじゃないかと。そう思えてしまうのです。

素人の、まだ、お能鑑賞歴短きモノの戯言ですが。