2月21日(日) 国立能楽堂

能 『胡蝶』・物着

  シテ(都の女 胡蝶の精)梅若紀彰 ワキ(吉野の僧)福王和幸

  笛:藤田次郎 小鼓:上田敦史 大鼓:河村眞之介 太鼓:金春惣右衛門 地頭:観世銕之丞

狂言 『土筆』 (大蔵流 山本東次郎家)

  シテ(この辺りの者)山本東次郎 アド(友人)山本則俊

(休憩)

能 『俊寛』 (金春流)

  シテ(俊寛)櫻間金記 ツレ(藤原成経・平康頼)柴山暁・政木哲司 アイ(従者)山本泰太郎

  笛:熊本俊太郎 小鼓:幸正昭 大鼓:高野彰 地頭:本田光洋

(休憩)

狂言 『痩松』 (和泉流 野村万蔵家)

  シテ(山賊)野村万禄 アド(女)河野佑紀

能 『野守』・白頭 (宝生流)

  シテ(野守の翁 鬼神)今井泰行 ワキ(羽黒山の山伏)村山弘 アイ(里人)野村拳之介

  笛:小野寺竜一 小鼓:住駒充彦 大鼓:飯嶋六之佐 太鼓:梶谷英樹 地頭:大坪喜美雄

附祝言 『千秋楽』

 

15時15分からの第2部。疲れが出てくるが、大丈夫。第2部から参加の知り合いも多い。

 

能『胡蝶』。お目当て。2019年3月に川崎能楽堂で。観世だったかな。あまり記憶にない。記録ブログも感想めいたことは書いていない。鎌倉は、舞台が狭いこともあるけどね。

ところが、ところが、どうして同じ曲でも、シテ方が違うと、上手なシテ方だとこんなに印象が違うのか。素晴らしいではないか。

前シテ女が、幕の内から「のうのう」と声を掛けると、それだけで、オオッと。橋掛かりをゆっくり出てくる。その声、節付け、姿、動き、ハコビが滑るよう、良いのではないか。

ワキ僧が、都に出てきて、梅を観ていると、前シテ女が現れるのだ。色の濃い紅梅は、舞台正先に作り物としておかれている。春と夏、秋は蝶は花々と戯れるが、初春の梅の頃は、蝶はまだ孵化していないから、梅とは縁が無いと嘆く。それが前シテ女、実は胡蝶の精、梅若紀彰。

物着の小書きによって、中入りせず、舞台上で後シテの扮装に。白銀の美しい長絹を被って、頭には蝶の冠。

このときの着替えの後見が、観世喜正。九皐会のトップの子。地頭が銕仙会トップ観世銕之丞。シテは、観世流梅若会の実力的には事実上のトップ梅若紀彰。観世流の中で実力重視の豪華メンバーが揃っているのだ。と、これだけでも感激してしまうという、紀彰師の素人弟子なのです。

物着後は、舞が素晴らしく、感動的に、上手。ああ、ああいう風に舞わなくてはいけないんだよね。あれがホントのお手本なんだよね。色覚的演出的には、正先に置かれた作り物の濃い紅梅、それと重なって舞う白銀装束の後シテ。重なると、色合いがホントに美しい。この装束と冠り物は、九皐会から借りたのだろうか。美しい、ため息。優美な舞。

ああ、幕の内に帰って行ってしまう。勿体ない。もっと観ていたいけど、仕方なし。その橋掛かりで、多分、両勇健をしながら、幕入りするのです。ボクは、ウットリしすぎて気付かなかったんだけど、指摘されて、思い出せば、両勇健だったね。今、『高砂』キリの仕舞で紀彰師に習っていて、難しくて困難に直面していたのです。あんなに、美しくなる型なのだ。

間違いなく、本日飛抜きの段違いお能でした。語彙能力が少ないのが、残念というか悔しい。

感動モノでした。

 

狂言『土筆』、何度目か。大蔵流は「どひつ」と読む。和泉流は「つくづくし」と読む。現代人は「つくし」と読む。

春の野遊びをしようと友人を誘って出てきたシテ。興に乗って、和歌を2首詠むが、ちょっと変。それを友人に指摘されて、笑われて、悔しそうな様子。楽さ愉快さと悔しさの競合が、よく示されていた。

それならばと相撲で決着を付けようと。負けず嫌いなのだけど、相撲でも負けてしまう。でも野遊びや友人との語らい交わりを楽しんでいるんです。

さすがの山本東次郎。アドは、兄弟の山本則俊。良い関係じゃないですか。2人のベテランが、良い感じで。

 

能『俊寛』、3回目かな。2019年11月に矢来能楽堂で観世九皐会。満足したと書いてあった。2020年11月に国立能楽堂で観世流で。

今回はシテ櫻間金記さんが、ご高齢によるモノか、声が擦れてしまって、よく聞き取れない。動きも、ピシッとしない。打ちひしがれる俊寛だから、それが演出なのかしら。疲れもあって、半分以上寝てしまった。

そのそもこの曲は、歌舞伎の印象が強すぎて、お能の方が先行のハズなだけど、後追いの歌舞伎に負けるか。

それともやはり櫻間金記さんが、うまく行かなかったからか。ダメでした。

 

狂言『痩松』、何度目か。シテ山賊に襲われて実家への贈り物を取り上げられるアド女。シテ山賊は「肥松」であったお喜ぶが、アド女が長刀を取り上げて、逆襲して、取り戻すどころか、脇差しなども取り上げてしまうお話し。山賊の隠語で、上手く盗れる時は「肥松」、失敗した時は「痩松」というらしいのが、曲の原典。最後は、これは「痩せ松であった。」とシテ山賊が嘆いて、お終い。

まあ、狂言。野村万蔵家。

 

能『野守』、2回目。2020年1月に鎌倉能舞台で。物語はそこのブログに書いてあるが、前回とは違って、白頭お小書き付きだけど、申し訳ない、何も気付かず。

この辺りになると、もう疲れ切っていて、ストーリーを追う気力も失せていた。ただただ、ああ、囃子だな、舞っているな、鏡が出てきたぞ、という程度。とても、感想を書ける様な体力が残っていなかった。

附祝言が『千秋楽』で、習った観世の節と違うなあ、ということは、良く解った。

 

正式五番立ての能楽は、もう、付き合えないだろう。全曲、狂言も能も集中することなど、不可能です。

でもでも、今回、同じ曲でも、シテ方によってこうも感動具合が変わるのが、良く解りました。

高等遊民は、これまで、闇雲にお能を鑑賞してきたけど、これからは、まずシテ方で選ばねばならない。勿論、観たい曲はあるでしょう。それも大切にして。23日には『安宅』と『道成寺』が予定されている。これはこれで楽しみです。

 

今回の式能は、ダントツで、段違いで、紀彰師シテの『胡蝶』が出色。まあ、これだけでも、出かけた意味があったというモノだ。

後は、狂言方が頑張っていたのではないか。大藏家、善竹家、山本東次郎家、野村万作の会、野村万蔵家。

式能の当たっての能楽協会理事長観世銕之丞の御挨拶には、第1回は、昭和36年、「五流宗家・正式五番能」として開催されたらしい。

それ以来続いているが、少なくとも、今回は、全体的には、シテ方より、狂言方の実力が示されたのではないだろうか。

シテ方では、梅若紀彰、観世銕之丞、観世喜正だな。