2月21日(日) 国立能楽堂
『翁』 (金剛流)
翁:金剛永謹 三番三:大藏彌太郎 千歳:大藏基誠
笛:槻宅聡 小鼓:曽和正博(頭取)・森貴史・曽和伊喜夫 大鼓:大倉栄太郎
能 『西王母』 (金剛流)
シテ(若い女 西王母)今井清隆 ツレ(女 侍女)今井克紀 ワキ(帝王)野口能弘
アイ(官人)大藏教義
笛:槻宅聡 小鼓:曽和正博 大鼓:大倉栄太郎 太鼓:徳田宗久 地頭:種田道一
(休憩)
狂言 『宝の槌』 (大蔵流 善竹家)
シテ(太郎冠者)善竹大二郎 アド(主人)善竹十郎 アド(すっぱ)野島伸仁
(休憩)
能 『東岸居士』 (喜多流)
シテ(東岸居士)粟谷明生 ワキ(東国の者) アイ(清水門前ノ者)高野和憲
笛:藤田貴寬 小鼓:田邊恭資 大鼓:佃良勝 地頭:中村邦夫
狂言 『魚説法』 (和泉流 野村万作の会)
シテ(新発意)野村万作 アド(この辺りの者)野村裕基
去年の式能に続いて、今年も参加。これは第2部冒頭のシテ梅若紀彰師による『胡蝶』が目当てではあるが、第2部からの参加も出来たけど、まあ、式能だし、今年は『翁』観ていないし、ということで、朝から。午前10時開始は、結構キツいのだ。普段の観能は、早くても昼から、大体が午後1時以降が多いので、こんなに早く千駄ヶ谷に行くことは希だし、眠い。
『翁』7回目。そういう意味では見慣れた曲。金剛流=下掛かりだから、千歳は面箱持ちを兼ねる。大蔵流狂言方。
正面の良い席だったので、箱はどのように扱われるか、注目。千歳(面箱持ち)の先導で翁が入場して(翁渡り、と言うらしい)、正先で拝礼した後、笛座で着席すると、前に、面箱が置かれる。そこで、箱が空けられて、白式尉面が取り出され、箱の蓋が上下引っ繰り返して、箱の上に置かれて、そこに白式尉面が置かれる。
箱の中には、まだ、黒式尉面と鈴が入っているらしい。これは、新著「翁の本」からの知識。それを、舞台上で確認。
千歳が舞始める。その最中に、翁が白式尉面を掛ける。
ついで、翁の舞、翁帰り、三番三(大蔵流のなのでこう表記するが、和泉流や一般的には三番叟か)の揉ノ段、鈴ノ段の舞と続く。
こういう流れは、確認、認識できた。儀式ですね。まったく、儀式。翁渡りの前に、火打ち石で切火をするが、今回は、幕の外に出て切っていた。幕の内では、様々な儀式が行われているのでしょう。
鑑賞ということになると、なんと言っても、梅若紀彰師の『翁』があまりに素晴らしかったのが、頭から離れず。緊張感が違う。姿勢が違う。拝礼の角度が違う。動作も違う。キビキビと、荘厳に。2020年1月の梅若紀彰『翁』が、燦然として最高居に付く。あれは、3回目の『翁』だったのに、それから4回も他シテの翁を観ているのに、あの感動は不変だし、背中のゾクゾク感は、今でもはっきりと記憶する。
三番三の舞の辺りでちょっとウトウト。これは、朝早く出てきたことが原因。大藏彌太郎さんの三番三、揉ノ段も、鈴ノ段も良かったですよ。
年初の恒例で、今後も『翁』を観る機会はあるだろうけど、どうなるんだろうか。もう一度、梅若紀彰師は『翁』を務めて頂けないだろうか。
まったく中断することなく、囃子方の移動や、地謡の移動があるだけで、『西王母』へ。脇能(初番物)だから、『翁』の続き。逆に、『翁』付きの『西王母』と言うべきか。これは、2回目。2020年1月に国立能楽堂で、観世流。翁付きではなかったが、お正月のお目出たい曲集。狂言も『財宝』だった。
とにかく、お目出たい曲で、桃の花や身に託して、皇帝の長寿を言祝ぐ。囃子方も、シテ舞も。
これも、儀式ですね。内容より、儀式の能。
狂言『宝の槌』も、お目出たい曲で、脇狂言と言うらしい。
善竹富太郎さんが、去年2020年の5月、40歳で亡くなった。新型コロナで。能楽界に衝撃を与えたが、この日の、シテ太郎冠者善竹大二郎は、追善の意味もあったか、精一杯の演技で、語りもしっかりとしていて、善竹家に対していたイメージが払拭された。
良いんでないかい。
内容は、すっぱに騙されて宝の槌を買い求めてきた太郎冠者が、主人に見せてもうまく行かず、しょうもない言い訳ばかりだけど、最後は、出世するのです、などとお世辞を言って、主人も納得してしまうというモノ。出世でまとめて、、おめでたい。
能『東岸居士』は、これは初めて。
旅僧ではなくて、都見物の東国の者が、清水辺りに来て、アイに紹介されてシテ東岸居士に会う。勧進のための説法を行い、舞を見せているという。説法の内容は、まったくわからない。これは予習するか、詞章を見ないと不明。
舞は美しかった。中ノ舞、クセ舞。その後羯鼓舞も見せろと請われて、後見座で羯鼓を腰に付けて抱えて、舞う。これらが、美しい、舞の曲だね。最後は、羯鼓を抱えたまま退場でした。
まだ、儀式性が抜け切れていない感じ。
狂言『魚説法』、観たことあると思うけど。もう90歳になるのかしら、野村万作が、魚の名を散りばめた説法を、物語上は布施ほしさに即興で作って、語る。作者もだけど、野村万作が、すらりすらりと、説法らしく語るのは素晴らしい。
説法を依頼したこの辺りの者のアド野村裕基君。立派になって。足の運びも、あれだけ上背があるのに、猫背肩にならずに、しゅっとして立、運ぶ。
最後は、アドに問い詰められて、「とびうおしょう」とシテが退場するのだが、ここの意味は不明。
これで第1部は終了。やはり、疲れる。イメージとしては、フランス料理の重いコースだな。一皿一皿も美味しいのだけど、ずらっと並ぶと、一皿一皿のイメージが弱くなる。それぞれの、能狂言の曲を楽しむというより、正式五番立てを、儀式として楽しむ。
コロナ消毒のため、1時間見所を出されて、今は、ロビーでの食事持ち込みも出来ないから、あのレストランが大混雑。外に食べに出かける。そういえば、『西王母』の後の狂言『宝の槌』時に、丁度お昼時だったからか、狂言を観ずに、お食事タイムの客もいたような。